東西ベルリンで起きた「動物園大戦争」の真実 きわめて人間くさい動物園の物語

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しかし、110年の歴史があり、飼育員の中には戦前から働く者もいる中で、若いクレースが指導力を発揮するのは容易ではない。それでも彼は、監査役会に取り入って、伝統を重んじつつも組織の若返りのための改革を推進した。すでにベルリン動物園は、ティアパルクの開園1年で、入園者数が前年比で8万5000人も減少していた。

同じ街にある、もう1つの動物園。お互い意識しないはずがない。ティアパルクのダーテが「世紀の動物」パンダを呼び名声を高めたと思えば、ベルリン動物園のクレースは新しい類人猿館の建設計画をスタートさせる、といった具合だ。2人とも動物の収集にかける情熱は凄まじく、動物舎の心配は二の次だった。1961年8月13日に東西ベルリンの境界が封鎖され、壁が築かれると、ダーテとクレースは2つに分かれた縄張りのボスジカとして、政治と時代の渦に飲み込まれていく……。

首都までも分断された政治的緊張の最中にもかかわらず

冒頭でも書いたが、本書は言うなれば病的なほどに動物と動物園のことしか考えていない業界人の話である。ダーテとクレースはお互い不快感を持っていたが、動物園の益を最優先に考える点では共通していた。例えば、2人とも朝起きてから夜寝るまで動物園経営に釘付けであるため、家族を顧みることがほとんどなかった。

また、彼らは厳しい階級構造の支配者であるがゆえに、いかなる非難も聞き入れないという面があったが、一方で政治には無頓着でもあった。ダーテは東ドイツ終焉まで自分が秘密警察シュタージの監視対象であるとはそれほど感じていなかったし、クレースは1970年にヘルマン・ゲーリングの親友でナチでもある元ベルリン動物園園長をドイツ動物園園長連盟の名誉会員に推薦したことがある。

そもそも、国だけでなく首都までも分断され、下手すれば軍事衝突もあり得る政治的緊張の最中の時代にもかかわらず、本書に登場する人々はあっけからんとしていて可笑しみがある。ティアパルクの若い監視員がシカ科最大の動物ヘラジカの輸送箱に隠れて西ベルリンに逃げるという切迫しているのにどこか滑稽な脱出劇や、ライン川に現れたシロイルカ「モビィ・ディック」を捕獲しようと奮闘する狩猟家園長のエピソードなどがそうだ。それらを描く著者の筆致も静かで恬淡としていて、さながら群像劇小説のようだ。

著者は1983年ドイツのルール地方生まれのフリージャーナリストで、この本の執筆のためにドイツ各地の動物園と関係者を取材し、公文書館を虱潰しに調べて回ったそうだ。本書について彼は謝辞でこう述べる。

“真実というものはつねに一つではない。話題性が高く、今日にいたるまでさまざまな感情が渦巻いているベルリンの二つの動物園の話となれば、なおさらだ。そこで私がめざしたのは、両動物園の関係と主要人物を、できるだけ多面的で多彩なモザイクとして描き出すことだった。”

『東西ベルリン動物園大戦争』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

本稿ではダーテとクレースしか名前を挙げていないが、本書は動物の魅力ではなく動物園内の人間ドラマに力点が置かれているため、人名が頻出する。おまけに聞き慣れない地名も出てくるので、読み進めるのがなかなかに大変だ。しかし、巻頭には地図や主要人物表が備えられ、章のはじめにもその章の時代と登場人物表も載せられているので、時間はかかるが理解が困難ではない。

加えて、監修の黒鳥英俊さんによる「動物園の歩き方」というガイドが各章末に添えられているのだが、これが日本とドイツの動物園事情の架け橋となって、読者との距離を大きく縮めてくれている。翻訳ノンフィクション入門として最適なうえに、動物園の物語なのに終始人間くさいという、きわめてユニークな一冊だ。

西野 智紀 HONZ

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にしの ともき / Tomoki Nishino

1992年生まれ、長野県出身。大学卒業後、ぽつぽつ書いていたブログ「活字耽溺者の書評集」をきっかけに仕事の話をいただき、以後書評家を名乗る。産経新聞、週刊読書人ほか、いくつかの媒体に寄稿。海外文学(ミステリ、サスペンス等)の紹介が中心だが、基本はフィクション、ノンフィクションを問わず濫読。好きなジャンルは、事件、ルポ、自然科学などの探求(探究)もの。

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