有言実行ジョーダン・スピースがすごすぎる 貧乏学生が3年足らずで世界一ゴルファーへ
米ツアーで戦う興奮を16歳で味わったスピースが、プロの世界に強く惹かれたことは間違いない。だが、テキサス大学ゴルフ部へ進み、NCAA(全米大学体育協会)の数々のトロフィーを手に入れていたスピースが、その大学生活を切り上げてプロへの道を急いだ背景には「赤貧」という現実があった。
前編で触れた通り、ジュニアとみなされる18歳までは「ザ・サンダーバード」財団による経済的支援が受けられる。だが、大学生になると、その支援は打ち切られてしまう。両親からの経済的サポートも受けていなかったスピースの大学生活は困窮をきわめた。
「あのころの僕は、それはそれは貧しかった。プロになってマスターズに出ることは子供のころからの夢だったけど、あのころは夢のためではなく、生活費を稼ぎたい一心で、一刻も早くプロになろうと思い立った。失うものは何もない。賭けに出よう。そう思って僕はプロ転向を決意した」
綱渡りの転戦生活を送る中で初優勝
そのための最初の作業は相棒キャディを探すこと。とはいえ、キャディに払うおカネはなく、賞金が稼げる保証も戦う場そのものもない状態だったスピースが、プロキャディを雇うことは難題だった。
そんなとき、スピースの頭に浮かんだのが、現キャディのマイケル・グレラーだった。スピースは2009年に続き、2011年にも全米ジュニアを制し、翌年は全米オープンに補欠から繰り上がり出場してローアマに輝いた。そのときバッグを担いだのが当時ミドルスクールで教師をしていたグレラー。スピースにグレラーを紹介したのは、前編で触れた親友で現在は米ツアー選手のジャスティン・トーマスだった。
自分の相棒キャディはグレラーしかいないと感じたスピースは「教師を辞めて僕の専属キャディになってください」と懇願。結婚を控えていたグレラーは戸惑ったが、スピースの熱意にほだされ、学校に辞表を出した。
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