全米プロ"涙の覇者"を支えた壮絶な「母の愛」 自宅を二重抵当に入れてまで学費を捻出
「もしも、あのとき父が死んでいなかったら、今日のこの勝利はなかった」
一度聞いただけだと、思わず「ん?」と聞き返してしまいそうなこのフレーズは、今年の全米プロを通算20アンダーというメジャー4大会史上のベストスコアで制覇したジェイソン・デイが口にした言葉だ。
「父が死んだとき、ひとつのドアが閉まった。でも、そのあと、別のドアが開いた」
母も姉たちも犠牲を払ってくれた
オーストラリア人の父とフィリピン人の母の間に生まれたデイは、2人の姉にも可愛がられながら、幸せに暮らしていた。経済的には決して豊かではなかったが、父親がゴミ捨て場に置いてあったゴルフクラブを持ち帰ってきたそのときから、父と息子の楽しい競争が始まった。
「どっちが先にうまくなるか競争だぞ」
父と一緒に夢中になってゴルフクラブを振った日々は、がんと診断された父親があっという間にこの世を去ったとき、突然、終わってしまった。そのとき、「ひとつのドアが閉まった」。
まだ12歳だったデイ少年は父の死という現実を受け入れられず、学校に行けば殴り合いの喧嘩をして、夜な夜な悪友たちと飲酒に喫煙。荒れた日々を過ごした。
「でも、ゴルフが盛んなボーディングスクール(全寮制の私立学校)のことをどこかから聞いてきて、そこに行きたいと言い出したのはジェイソン自身でした。もちろん、あの子は、その学校の学費がどれほど高いかは知りませんでしたけど」
デイの母デニングは、当時のことをそう明かしてくれた。
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