全米プロ"涙の覇者"を支えた壮絶な「母の愛」 自宅を二重抵当に入れてまで学費を捻出
優勝したデイが、世界のメディアの前で、ドアの話を始めた。
「父が死んで、ひとつのドアが閉まった。そして、もうひとつのドアを開いてくれたのは、僕の母……」
笑顔で饒舌だったデイが「my mom……」と口にした途端、声を詰まらせた。
昨年暮れ、筆者はデイの母デニングを訪ねて、オーストラリアのブリスベンへ行き、息子を想う母の気持ちを聞かせてもらった。
デニングはメジャー大会はおろか、デイが主戦場にしている米ツアーのレギュラー大会でさえ、じかに観戦したことは「一度もない」と言った。
「首を長くして待っていました」
息子のウイニングウォークを目の前で見たくはないのか。ウイニングパットを沈めた瞬間、祝福のハグをするのが楽しみではないのか。そう尋ねると、「それは、もはやジェイソンの妻の役目。私はジェイソンが、ただ健やかでいてくれたらそれでいい」。
夫の死後、すでに40歳を超えてから初めて運転免許を取り、いくつもの仕事を掛け持ちながら必死に働いて3人の子供を育て上げた。そして不良化していたデイの「別のドア」を開いて世界へと送り出したデニングは、その息子が高額賞金を稼ぐトッププレーヤーになった今でもコツコツ働くことを止めてはいない。
全米プロ最終日、デイがジョーダン・スピースと勝利を競い合っていた米国の日曜日の午後は、母が独りで暮らすオーストラリアでは、すでに月曜日の朝になっていた。デニングはどのように過ごしていたのか。尋ねてみると、「職場でパソコンを開いては、米ツアーのサイトを眺めて息子のスコアをチェックしていた」という。
「夏休み明けの最初の出勤日だったから、仕事が忙しくてなかなかパソコンを見る時間がなかった。スコアもなかなか更新されなくてドキドキしたけど、今どうなっているんだろうってチェックするのが楽しみでした。あの子がメジャーで優勝する日を、ずっとずっと首を長くして待っていました」
デニングからこんな言葉を聞いたとき、昨年暮れに会ったときの優しい笑顔を思い出した。
=敬称略=
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