全米プロ"涙の覇者"を支えた壮絶な「母の愛」 自宅を二重抵当に入れてまで学費を捻出

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「あの子自身、立ち直りたいと思っていた。だから私は、そのためにできることなら何でもしました」

母は家族4人が住んでいた家を二重抵当に入れてまで、デイの学費をひねり出した。

「そのために僕の家の生活はとても貧しくなった。壊れた芝刈り機を直すおカネがなくて、母はナイフで庭の芝を刈っていた。湯沸かし器がなくて、やかんで沸かしたお湯がシャワー代わり。母は3つも4つもやかんを持ってきたけど、ひとつのやかんのお湯が沸くまで、5分も10分もかかって……。母も姉たちも、たくさん犠牲を払ってくれた。そのおかげで僕はボーディングスクールに行けた」

寮生活の中でゴルフの腕を磨き、そこでコーチをしていたコリン・スワットンと出会い、そのスワットンがそれからのデイの父親代わりとなり、今でもデイの相棒キャディだ。

いろんな人々の助けを得て、プロゴルファーになり、米ツアー、そして世界の舞台へと飛び出していったデイ。もうひとつのドアは、そうやって開いた。

惜敗がなかったら、この勝利はなかった

2008年から米ツアーにデビューしたデイは、2010年のバイロン・ネルソン選手権で初優勝を挙げ、メジャー4大会でもたびたび優勝争いに絡んだ。

「でも、チャンスに近づいては逃した」

これまでメジャー20試合に出場し、トップ10に9度も入りながら未勝利だった。とりわけ2013年のマスターズは、最終日の16番で首位に立ちながらアダム・スコットに勝利を奪われ、グリーンジャケットを羽織った初のオーストラリア人の称号は永遠に奪われた。

「あのオーガスタの惜敗がいちばん辛かった」

デイが惜敗する流れは、今年も続いていた。全米オープンでは優勝争いの真っただ中で持病のめまいに襲われ、本領を発揮できず、9位に終わっている。全英オープンでは72ホール目のバーディーパットが数センチだけカップに届かず、プレーオフ進出を逃して思わず悔し涙をみせた。

「でも、そういう惜敗がなかったら、今日のこの勝利はなかった」

受け入れ難かった父の死。度重なる惜敗。辛いもの、苦しいものを糧にして前を向いてきたデイ。その姿勢が、彼をついにメジャーチャンプへと押し上げた。

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