有言実行ジョーダン・スピースがすごすぎる 貧乏学生が3年足らずで世界一ゴルファーへ
翌2013年の春。スピースとグレラーはノンメンバーとして米ツアー挑戦を開始。スポンサー推薦をお願いする手紙を方々へ書きまくる一方で、マンデー予選に挑み、いざ試合に出られれば、トップ10入りして翌週の大会の出場資格を得る綱渡り。そんな転戦生活が半年ほど経過した7月、ジョンディア・クラシックで、ついに初優勝を挙げた。
「ドリーム・カム・トゥルーだ。これで来年は、ついにマスターズに出られる」
表彰式でスピースはオーガスタへの切符をつかんだ喜びを語った。晴れて米ツアーメンバーになり、向こう2年間のシード権も手に入れた。だが、そのとき彼の目は翌週の全英オープンに向いていた。ジョンディアの優勝者は全英出場資格が得られる。スピースは防寒ウエアを詰め込んだ全英用のスーツケースをあらかじめ準備した上、絶対に優勝するつもりでジョンディアに出場していたのだ。
2度目の挑戦でマスターズ優勝の快挙
2014年4月のオーガスタ。スピースはマスターズ最終日を首位タイで迎え、早々に単独首位へ躍り出た。初出場にして初優勝かと周囲も色めきたった。だが、8番と9番の連続ボギーでバッバ・ワトソンに首位を奪われ、抜き返すことができぬまま、2位に終わった。
「バック9で僕の勝利は遠のいていった。でも、グリーンが近づくたびに受けたスタンディングオベーションを僕は生涯忘れない」
それからの1年間、スピースはグリーンジャケットを羽織る自分の姿を思い描きながらクラブを振り続けた。3月のバルスパー選手権で米ツアー2勝目を挙げたものの、地元テキサス州内で開催されたマスターズ直前の米ツアー大会では2試合連続で惜敗。妹エリーに「勝ったの?」と何度も尋ねられ、そのたびにスピースは「まだだよ」と答えた。その意味を解さず「勝った、勝った!」と喜ぶ妹の無邪気な笑顔を眺めながら、スピースは「今度こそ本当に勝つ」と心に誓った。
翌週。スピースはオーガスタで最終日の朝を単独首位で迎え、21歳にしてマスターズチャンプに輝いた。
「やっとエリーに『うん、勝ったよ』と言ってあげられる」
それからの快進撃は、みなさんもきっとご覧になったことだろう。マスターズに続き、全米オープンでも勝利を挙げたスピースは、ジョンディアで2連覇を達成すると、全英オープンと全米プロでも優勝争いを展開し、世界ナンバー1へ上り詰めた。
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