トリプルアクセルとの「幸福な決別」が示す道 全日本での失敗は浅田真央の分岐点になった

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全日本で3位に入り世界選手権への切符を手にした浅田真央。2016年、スケーターとしてどんな世界を開拓していくのだろうか(写真:長田洋平/PIXTA)

2015年~2016年シーズン、1年の休養を経て銀盤の上に戻ってきた浅田真央(25)。昨年10月のジャパン・オープンから年末の全日本選手権まで5試合を戦い、シーズン前半にして濃密な喜怒哀楽を刻んできた。滑る楽しさから段々と苦悩を深め、最後には決定的な心理が芽生えたこの3カ月から見えてきた、浅田真央の2016年の滑りとは――。

12月27日、1972年札幌五輪が開催された真駒内セキスイハイムアイスアリーナで、浅田は大きく体を氷に打ち付けていた。トリプルアクセルでの転倒。場内に驚嘆と落胆の声が交じりゆくなか、当人にはまったく逆の感情が芽生えていた。

「しっかり回った。悔いはないな」

その転倒、その割り切りこそが復帰した25歳のスケーターの歩むべき道を示していた。

代名詞であり、共存関係にあった

いまだスケート連盟公認大会で6人しか成功者がおらず、現役では現世界女王トゥクタミシェワとの2人だけという大技は、それこそが浅田の名刺代わりとも言うべき認知度で世間にもひろく膾炙していた。ノービス選手のころから、この成功か否かが分かりやすい見栄えのするジャンプが演技の評価基準として機能してきた。

当時はまだ、今ほど国民的な人気を集めていなかったフィギュアスケートを報道する側として、浅田のそれはとても扱いやすく、競技を簡易化できる素材であったし、何より浅田本人にトリプルアクセルへの強烈な自負心があったことで、互いの共存関係ができていた。ステップ、スピン、そして表現力といった重要な要素がほかにたくさんあるにもかかわらず、それは突出して注目される対象となっていた。

2004年から現行の採点法となり、技術の一つひとつに明確な得点が与えられることになっても、トリプルアクセルはジャンプという1つの要素の枠を逸脱し続けてきたと思う。それはソチ五輪まで大きく変わることなく、彼女が跳ぶその大技に視線の多くが注がれていた。

そんな「希代のジャンパー」が休養を選び、再びリンクに戻ってきたいま、1つの齟齬が生じている。彼女自身がトリプルアクセルを「特別」と思わなくなった、少なくとも思わなくなったと発言したことに端を発する。2015年5月18日、復帰を明言した会見でアクセルのことを聞かれると、こう答えた。

「それだけではなく24歳でスケート界ではベテランに入ってきている。もちろんジャンプ技術を落とさないことが大事ですけど、それだけではなく大人の滑りができればいいなと。なんというんですかね、自分の滑りを見てもらえたらと思う」

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