新日本監査法人は旧中央青山の教訓を生かせ 奥山章雄・中央青山監査法人元理事長に聞く

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トップ主導で粉飾をやっていたとすれば、新日本監査法人が見抜くのは難しい。2015年7月に公表された調査委員会の報告書を読んだが、工事進行基準や半導体の在庫評価など、どれも手がこんでいて、会計士には分からないようにやっていた気配がある。

もし、中央青山が残っていたら、こうした問題は起きなかったかもしれない。あの頃、カネボウの件で反省し、トップから新入社員研修、品質管理運動など、すべての体制を変えた。うまく法人が残っていたら、稼働していったと思う。

「職業的な懐疑心」は根性論ではない

2005年10月、カネボウ事件に会計士が加担していた事が発覚し、会見を行う奥山氏(撮影:高橋孫一郎)

ーーカネボウ事件のあと、さまざまな防止策が行われた。

監査法人のほうでは、同じ担当者が長期間にわたり関与しないようなローテーション制度の導入や、合併後の引き継など、さまざま制度の充実化を図ってきた。

ーー東芝が会見を繰り返して、トップが説明にあたったのに対し、新日本は一度も会見を開かず、2016年1月末に英公一(はなぶさ・こういち)理事長が退任する。これで説明責任を果たしたと思うか?

少しだらしないのではないか。私のときは大勢の報道陣に叩かれながら、一人で3時間の会見を頑張り抜いた。1月に金融庁に改善策を提出した後に会見はすべきだ。

ーー会計士や監査人の立場は法的に保護された立場だ。

もともと、公認会計士になるときには、倫理研修を受けなければならない。それぐらい職業倫理が必要な職業だ。いくらよい関係があって、収入を得られるお得意さんであっても、第三者として相手をみる習慣は必要だ。

ーー金融庁の処分理由のひとつに、相手の出す資料に問題がないかを疑ってかかる、「職業的な懐疑心」が不足していたとある。これは単なる根性論とは違うのか?

職業的な懐疑心とは、専門性に裏付けされた疑問を感じる力だ。例えば、テレビドラマの「下町ロケット」でデータを見て、技術者が「揃い過ぎている」と偽装を見破るシーンがあったが、会計士も同じこと。おかしいものを見抜く力が必要だ。これは根性論ではない。

ーー仮に新日本の会計士が職業的な懐疑心を持っていたとして、今回の東芝の問題を見抜けたと思うか。

今回は東芝が悪すぎた。東芝は委員会等設置会社や社外取締役制度など、コーポレートガバナンスのあるべき姿を、すべて先取りしていた超優良企業。肝心要のトップが会計の重要性を意識していなかった。これはモラルの問題である。

金融庁が出した結論は厳しいものだった。この指摘を見ると、問題は会計士個人ではなく、チームや法人にあったと見ていることがわかる。

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