認知症患者の鉄道事故は、家族の責任なのか 「妻子の損害賠償責任」の判断問われる最高裁

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さらに資本について述べた点(2)では、仮に今回の事故が脆弱な経済基盤しかない鉄道事業者の路線で発生した場合はどうなるのか、という疑問が生じ得る。日本には様々な規模の鉄道事業者が存在するが、減額されるかされないかのボーダーラインが不明確である。

ほかにもA氏(の妻)の資産が比較的多いということも減額の要素とされているようであるが、列車と衝突する人物が裕福かどうかは偶然の事象である。

もちろん、鉄道事業者の安全確保への努力は必要である。しかし、過失が認められないのに曖昧な事情で損害賠償額が減額されるとなると、鉄道事業者にとってはいかに安全確保に努めても不意に足元を掬われることになりかねない(しかもいくら減額されるか判決まで判然としない)。

本件事故を個別具体的に観察して妥当性ある結論を図る、という視点でみると、このような調整は必要であったのかもしれない。

しかし、具体的妥当性を求めるあまり曖昧な基準で解決を図ろうとすると、「認知症患者や家族がかわいそう」とか、逆に「家族が認知症患者をちゃんと見ておけ」というような感情論の噴出につながりかねない。最高裁の判決においては、責任の主体、責任の分配の仕方について、説得力のある判断基準が示されることが望まれる。

同種の事故は身近に起こりうる

もっとも、最高裁の判断だけでこの種の事故にまつわる問題が解決できるとも思えない。

厚労省によれば、2025(平成37)年には認知症患者数が700万人に達するという推計もある。介護を理由とする退職や介護疲れによる事件が社会的な問題になって久しい。家族の労働生産性損失も含めた認知症の社会的費用は年14.5兆円にも上るという慶応義塾大学の研究グループによる試算もある。

厚労省は「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」により、認知症患者が可能な限り住み慣れた地域で生活を続けていくための整備をするとしている。そのなかでは「認知症患者の安全確保」も挙げられている。

しかし、安全確保が功を奏せず、それが監督困難な認知症患者による他者加害にもつながった場合には責任をどう分配するべきであろうか。親族などの個人に責任負担させるのか、鉄道事業者に受忍させるのか、保険などの拡充で対応させるのか、それとも広く社会の問題として国民全体で税金等により負担させるのか。

認知症患者の事故への対応については、個々の法的紛争というとらえ方だけでなく、社会全体の問題としても考える必要があろう。私もみなさんも将来、監督の目をすり抜けて似たような事故を起こし、親族が責任を問われるかもしれないのである。
 

小島 好己 翠光法律事務所弁護士

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こじま よしき / Yoshiki Kojima

1971年生まれ。1994年早稲田大学法学部卒業。2000年東京弁護士会登録。幼少のころから現在まで鉄道と広島カープに熱狂する毎日を送る。現在、弁護士の本業の傍ら、一般社団法人交通環境整備ネットワーク監事のほか、弁護士、検事、裁判官等で構成する法曹レールファンクラブの企画担当車掌を務める。

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