一方、妻らは、「駅係員の監視が不十分であった」「A氏が線路に下りたとされる共和駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されていなかった」として、JR東海に安全確保義務違反があったという主張をしていた。これがJR東海の過失と認められれば賠償額の減額もしくは支払義務の不存在につながることになる。
しかし、名古屋高裁はJR東海に安全確保義務の違反はなかったと判断した。
改札口の通過や駅構内での具体的なA氏の行動が証拠上明らかでないということ加えて、フェンス扉は施錠されていなかったとはいえ閉じられてはいたから、JRの安全確保義務違反があったまでは認められない、としたのである。
ここで疑問が生じる。名古屋高裁は本件事故の「被害者」であるJR東海の過失を認めなかったのに、妻に支払いを命じた賠償額はJR東海の損害全額でなく半額のみにとどめたのである。これはどういうことであろうか。
賠償額が半額になった理由
被害者側(損害賠償を請求するJR東海側)に過失がある場合に損害賠償額が減額されることはよくある。過失相殺と呼ばれるものである(民法第722条第2項)。しかし名古屋高裁の判決では、既述のとおりJR東海の安全保護義務違反を認めていない。判決文上も「過失相殺の事由が認められない場合でも」とされており、半額に減額したのは「過失相殺」によるものではないのである。
この点に関して、損害賠償額を決めるにあたり判決の中で検討された要素をいくつか挙げてみる。
(1)A氏は多額の資産を有し、妻は2分の1の法定相続分を有していた
(2)JR東海は資本金が1000億円を超える日本有数の鉄道事業者であるが、本件事故で被った損害は約720万円の財産的損害である
(3)鉄道事業者は専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し、そのことで収益を上げている
(4)社会には、認知症患者のように危険を理解できない者もいる。このような社会的弱者も安全に社会で生活し、安全に鉄道を利用できるように、一定の安全を確保できるものとすることが要請されている
(5)鉄道事業者は公共交通機関の担い手として、一層の安全の向上に努めるべきであり、それは社会的責務でもある
(6)A氏が本件事故に遭う前に乗降した駅で利用客に対する監視が十分になされていれば、また、降車駅(事故に遭った駅)のホーム先端のフェンス扉が施錠されていれば、本件の事故発生を防ぐことができたとも推認しうる
これらの要素を考慮した上で名古屋高裁は賠償額を半額とする結論を導いている。しかし、この論法は鉄道事業者には不可解なところもあるのではなかろうか。「ホーム端フェンス扉を施錠していなかった」等の事実は「過失」でないのに鉄道事業者の請求額を削ぎ落す一要素として用いられているからである。「過失」はないとしつつ、事実上「過失相殺」的な扱いがなされているからである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら