インドは広大な国土と巨大な人口を持つ開発途上国という点では中国に似ている。しかし、現実には両国の差は非常に大きい。インドの現在のGDPは世界で11番目であり、1人当たりのGDPは中国の4分の1に過ぎない。
このように差がついたのは政治の力が違っていたことが大きな原因だ。中国は1970年代の末に改革開放政策を進めるという国家目標を立て、その達成に向け国力を集中的に注ぎ込んできた。10億人を超える国民の中には当然異なる意見があるが、それを1つの方向に集約し政策として実施できるつよい政治力があったのだ。
インドは常に不安定だった
これに比べるとインドは常に不安定な状態であった。インドの政治を担ってきたのは1947年の独立以前から「国民会議」であり、現在は「コングレス党」あるいは「国民会議派」と呼ばれている。
「国民会議派」は2014年の総選挙でインド人民党(BJP)に敗北するまで、ほぼ一貫して政権を担当してきた。その意味ではインドの政治は安定している印象があるかもしれないが、「国民会議派」と「反国民会議派(野党全体のこと)」との勢力差はわずかで、常に連立政権であった。1984年の選挙ではじめて単独政権の樹立が可能となったが、そうなったのは、ガンジー首相が暗殺され同情票が集まったからであり、その後はまた連立政権に戻った。
たまに成立した反国民会議派の政権はいっそう不安定で、たとえば、1989年の選挙で成立した連立政権は反国民会議派であることだけが共通点であり、ナショナリスティックなBJPと共産党(マルクス主義)という正反対の政治信条を持つ政党が支えていた。
インドの政治が不安定な原因は、歴史的に形成されてきた、複雑・多様な宗教、民族・言語、社会階層(カースト)からなる社会状況にあり、公的認定言語は20を超える。インドからの分離主張が強い地域もある。一部の少数民族に与えられている「指定部族」への優遇策をめぐる争いもある。
インドは、国土が大きいこともさることながら、多様な社会の需要に応じるため連邦国家としたが、「社会秩序が政治的統一に先行」していたと言われる状況は現在でも解消されておらず、国家としての統一性はぜい弱だ。
また連邦だけでなく、連邦を構成する28の州と7つの連邦直轄地でも諸集団の複雑な要求を吸収することに腐心している。
インドのもう一つの特徴が民主主義であり、「世界最大の民主主義国」と言われる。上は連邦から下は村落のレベルまで徹底した民主主義だ。各村落には「パンチャーヤット」と呼ばれる村落会議があり、村の生活にかかわる問題について決定を行うほか、問題や紛争の解決のための司法機能まで果たしている。村落の意思を無視しては何事も実現できないのだ。「パンチャーヤット」はスイスの民主主義の原点である「ランツゲマインデ(全住民集会)」に類似している。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら