問題は「これは産業の空洞化だから望ましくない」との意見が強いことだ。「ものづくりは国内で頑張らなければいけない」というのだ。
生産拠点の海外移転が進めば、国内の雇用が失われるのは事実だ。しかし、それによって所得収支の黒字は増大するのである。必要なのは、それが国内経済活動の活性化に資するような仕組みを作ることだ。
第二は、証券投資についても、現状の米国国債への集中投資から脱却し、利回りの向上を図ることだ。たとえば、外貨準備の運用を「ソブリンウエルス・ファンド」(政府が出資する投資ファンド)に切り替えることである。
もちろん、そうしたことを行えば、米国国債市場に影響が及び、場合によっては大混乱が起きる。外貨準備の大半は米国債であるからだ。しかし、これは他国もやっていることである。産油国は以前から対外資産をソブリンウエルス・ファンドで運用していた。中国は97年に中国国家外国為替管理局を設立して、資産運用をしている。
日本の現状は、日本型組織の報酬体制の結果でもある。ブーム期には、皆と同じリスク投資をやらないと、無能と見なされる。80年代に誰も彼もが「財テク」をやった時代には、こうした風潮があった。しかし、今は逆に、投資成績を上げてもそれに見合う個人的リターンは得られない。それなら、皆と同じように国債投資をするのが安全だ。つまり、専門家の知識や技能が報われていないのである。
日本再生戦略には、「資産運用」という視点がないと述べた。「次の成長分野はなにか?」を探しているだけだ。これでは予想屋と同じである。「人材育成」の項目で挙げられている政策は、「大学の秋入学」だ。そんなことだけで日本の未来を支えられる人材が育つはずはない。本当に必要なのは、専門家が報われる体制の確立である。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2012年7月28日号)
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