(第55回)野村とゴールドマンはどこが違うのか?

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歴史的に見ると、第2次大戦遂行のための「国家総動員体制」の一環として、産業資金の供給体制から直接金融ルートが意識的に排斥された(これに関する詳細の議論は、拙著『1940年体制』東洋経済新報社刊を参照されたい)。この体制は戦後も生き残り、ことに債券市場に対する制約は長く続いた。ここで資金調達できたのは、電電公社、電力会社、長期信用銀行など、限定された主体だったのである。

この仕組みは、高度経済成長の実現には重要な役割を果たした。しかし、経済環境の変化にもかかわらず、長期信用銀行を基幹とする銀行体制は変わらなかった。産業部門で減退した資金需要の代替として不動産融資にのめりこんだ末にもたらされたのが、80年代のバブルである。

また、大学教育における金融教育の遅れも指摘される。アメリカでは古くからビジネススクールにおいて専門的な金融教育が行われていたが、日本の大学教育ではこれを排斥した。日本の大学における実務教育とは、工学部での技術者育成教育であった。金融は「金儲けのための手段」であり、大学で教えるようなものではないと見なされてきたのである。直接金融が制度的に抑制されたため、それに関連したサービスに対する需要がなく、そのため人材も要請されなかったのだ。

専門的人材の育成には時間がかかる。アメリカの水準に追いつくのは、容易なことではない。

すでに見てきたように、中国における金融も、間接金融が中心である。そして、中国にも投資銀行業務を行える金融機関は存在しない。この点で日本と似た状態にある。これを将来どのように克服するかが問題である。

野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)

(週刊東洋経済2012年7月14日号)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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