日本人が知らないアメリカ的政治思想の正体 自由至上主義の源流に「アイン・ランド」あり

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アイン・ランドは1905年2月にサンクトペテルブルクに生まれ、十月革命を経てスターリン体制が確立するまでの激動のロシアで世界初の共産主義国家の誕生を間近で眺めて過ごした。

1925年にアメリカに渡り、セシル・B・デミルの下で脚本の勉強をしていたとき、撮影所で出会ったアメリカ人と結婚して帰化し、1933年にロシアでの体験をもとにした小説『われら生きるもの』を出版した。1943年に、フランク・ロイド・ライトをモデルに個人主義のありかたを描き、ゲイリー・クーパー主演で映画にもなった『摩天楼』が出版され、ランドはベストセラー作家として一躍有名になった。

ランドは社会主義思想も宗教も否定した

アイン・ランドは今でも多くのアメリカ人を魅了し続けている

当時のニューディールのような社会主義政策の広がりを危惧したランドは、積極的に保守派の思想家や政治家と交流を持つようになった。そのころ彼女が支援した経済学者には当時無名のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスがいる。だが経済学的な自由市場の有効性はすでに実証されており、証明されなければならないのは自由市場資本主義の道徳的正統性だと彼女は考えていた。『摩天楼』の映画が公開されると、ランドは思想小説『肩をすくめるアトラス』の執筆にとりかかった。

この物語で、大陸横断鉄道の経営者ダグニー・タッガートは、政治駆け引きにあけくれる社長で兄のジムと対立しつつ鉄道を経営している。そして東部の産業都市の経済が衰退していくなか、成長著しいコロラドの新線建設に社運をかけ、起業家のヘンリー・リアーデンが10年をかけて開発した画期的な合金を採用し、完成させる。だが全米で生産統制が強化され、身動きがとれなくなった実業家たちが次々と姿を消していく。深刻な不況にみまわれるアメリカで、『ジョン・ゴールトって誰?』という謎のスラングが流行りだす。

前作の知名度もあって、1957年に発売された小説『肩をすくめるアトラス』はたちまちベストセラーとなった。社会主義思想がトレンドであった大学やメディアでは酷評され、宗教を否定する思想でもあったことから保守派からも敬遠されたが、一部の若者に熱狂的に支持された。若い読者ファンらはランドのアパートに集い、哲学や政治経済について語った。

その常連には元FRB議長のアラン・グリーンスパンもいた。ランドに出会うまでに、彼はすでに理論構造が優れていたため資本主義の有効性を信じていた。だがランドと出会ったことで、自由市場は効率的であるばかりでなく、道徳的でもあることを確信するようになったという。彼もまた、FRBの議長をつとめながら、「本来は金本位制が理想」と言い続けた。

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