同時に中村氏は長年、「母親になってみたい」と思ってきたという。映像作家として、生と死を扱うテーマが「自分のクリエーティビティーの根幹」だったからだ。だから「子を産み育てて、よりいっそう生と死の深淵をのぞき込む作り手になれたのでは、と。もちろん、日々まだ学んではいるんですが」と言う。
出産すると、産む前に気にしていた「仕事がどうとか、保育園に通えるだろうかという心配」はどうでもよくなった。それより「子どもが病気になる、事故に遭うことが一番怖い。それから私が亡くなったらこの子が路頭に迷うから、自分の生命も維持しなければ。それが一番の問題になりました」と話す。
当連載で以前ご紹介した家事シェア研究家の三木智有氏も、同様の感覚を話していた。両立云々(うんぬん)を語れるのは、当事者以外なのかもしれない。それだけに、客観的に状況を理解できる周囲の人たちが、必要な環境を整えるために手を差し出すことが重要とも言える。
何しろ、子育てしながら仕事を持つことは、現実的には「スーパーウーマンにならなきゃこなせない」からだ。
「シッターさんを捕まえるにも、何日も何週間も前から『あの人を確保しよう』と計画を練る。体操着の洗濯も、学校へ持っていく水筒も明日に間に合わせないといけない。そういう些末(さまつ)なことも含めて、全部こなすよう求められる。同じことを将来娘にさせたいか、と言われれば、正直きついなと思います」
問い続ける「子どもを持つ意味」
子育てをしていると、「今の社会があまりにも、私が面と向かっているケアの小さな世界、つまり身体の現実を周縁化している。ツルピカの社会が、排除している」と感じるという中村氏。
「個人の成果物、エビデンスを求める新自由主義の経済システムが、個人の行動をすべて自己責任に帰すようにさせてしまった」と話す。赤ん坊を抱いて電車に乗ると、「好きで産んだんだろ」という社会の声が聞こえるように感じ、誰にも頼ってはいけないと緊張が続く時期があったという。
今も『なぜこの世界で子どもを持つのか 希望の行方』というタイトルの連載で、子どもを持つ意味について迫っている。「産むか産まないかを問われること自体、すごく不幸だと思う。自分たちだって、理由もなくこの世に産み落とされているだけなのに」と話す。


















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