「社会的な私とケア的な私に引き裂かれる」——。映像作家が"母"になって痛感した絶対的「不安」。少子化、生きづらさ、その背景にあるもの

✎ 1〜 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 16
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
中村佑子さん
中村 佑子さん / 1977年東京都生まれ。作家、映像作家。著書に『マザリング 性別を超えて〈他者〉をケアする』『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』、映像作品に『はじまりの記憶 杉本博司』『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』などがある(撮影:梅谷秀司)

中村氏がイメージする社会の理想を聞くと、「生殖医療も進化し、やがて病も全部治せるように…人間が身体性の現実を遠のかせる社会の欲望を止められなくなった中で、実現できるかというとほとんど困難かもしれませんが、私は身体性をちゃんと見られる、ケアを中心に据えた社会にしたい。

身体の現実に向き合っている人に、最も価値を置く社会に。ケアラーの報酬も増やしたい。そうすれば、母親も子どもも、病を抱える人も弱い人も生きやすくなる」と語る。

ケアを中心に据えた社会を求めて

人間の身体は自分でコントロールしきれるものではない。幼児期に教わったはずの排泄のコントロールが難しくなる病も、老化もある。脚を痛めれば、階段や段差が多すぎる都会の構造に気づく。瞬間、瞬間を生きる子どもからすれば、一定の時間を過ぎたからと遊びを断ち切られる社会生活も理不尽だろう。

自然な感情や、身体の生理をある程度抑えるのは、多数の人間が共存するために避けられないとしても、どこまで我慢すればよいのか。我慢の連続が過ぎるからこそ、少子化になっているのではないか。

マザリング 現代の母なる場所
『マザリング 現代の母なる場所』(集英社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

ケアが軽視される新自由主義の問題については、近年書籍などで盛んに発信されるようになったが、その声が政界に、経済界に届いて受け止めてもらえる日は来るのか。私たちが生きづらいのは、日本ではケアが少なすぎるからではないか。

子育て中の保護者として語る中村氏の声は、「炭鉱のカナリア」のようである。1人ひとりの力は小さいかもしれないが、私たちにも社会を変えるためにできることはあるのではないだろうか。

阿古 真理 作家・生活史研究家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。

女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『おいしい食の流行史』(青幻舎)『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事