中村氏がイメージする社会の理想を聞くと、「生殖医療も進化し、やがて病も全部治せるように…人間が身体性の現実を遠のかせる社会の欲望を止められなくなった中で、実現できるかというとほとんど困難かもしれませんが、私は身体性をちゃんと見られる、ケアを中心に据えた社会にしたい。
身体の現実に向き合っている人に、最も価値を置く社会に。ケアラーの報酬も増やしたい。そうすれば、母親も子どもも、病を抱える人も弱い人も生きやすくなる」と語る。
ケアを中心に据えた社会を求めて
人間の身体は自分でコントロールしきれるものではない。幼児期に教わったはずの排泄のコントロールが難しくなる病も、老化もある。脚を痛めれば、階段や段差が多すぎる都会の構造に気づく。瞬間、瞬間を生きる子どもからすれば、一定の時間を過ぎたからと遊びを断ち切られる社会生活も理不尽だろう。
自然な感情や、身体の生理をある程度抑えるのは、多数の人間が共存するために避けられないとしても、どこまで我慢すればよいのか。我慢の連続が過ぎるからこそ、少子化になっているのではないか。
ケアが軽視される新自由主義の問題については、近年書籍などで盛んに発信されるようになったが、その声が政界に、経済界に届いて受け止めてもらえる日は来るのか。私たちが生きづらいのは、日本ではケアが少なすぎるからではないか。
子育て中の保護者として語る中村氏の声は、「炭鉱のカナリア」のようである。1人ひとりの力は小さいかもしれないが、私たちにも社会を変えるためにできることはあるのではないだろうか。
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