「父と母、最後の10分間」 延命治療を拒否した母がいよいよ…"ずっと頑固だった父"に言わせた「愛してる」の奇跡

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母は、本人の弁によりますと8年来、肝臓がんを患っておりました。もともとC型肝炎を持っており、40歳過ぎくらいでインターフェロンの治療を受けました。

そのときの大変な経験があったためか、がんがあるかもと言われても、「別に何もしないんさ、私にはわかるん、何かしたら私は病気になっちゃう、このままいけば私は最後まで元気」と言って、せっせとジャムをつくっておりました。

まわりからはいろいろ心配されたようですが、家族は「まあ、そんなもんか」と。

ご存じない方のために補足しますと、母は多分20年くらいだと思うのですが、司祭育成のための手作りジャムづくりに励んでいました。

八百屋で安い果物を仕入れたり、皆さんに寄付してもらったりした果物をジャムにして1個400円で販売します。利益は教区に送って神学生の育成費用として献金します。

そんな生活をしていた母ですが、少しずつ病状は進んで、ご存じの通りこの半年はどんどんやせこけてきました。本人は意気軒昂(いきけんこう)だったのですが、10月4日に最初の痛みが出ました。

苦しくて教会の勉強会にも行けないくらいで、その日かかりつけの久保田医院はお休みだったのですが、おじいちゃんが一人でがんばって久保田先生に連絡をつけて、夜中に先生のところに走って行って、先生から直接痛み止めを手渡ししていただいて……。とりあえずはなんとかおさまりました。

こんな感じで、母の最後の旅が始まりました。

(中略)

母は実にうまく父をコントロールしていた

久保田先生から紹介していただいたのは、緩和ケア専門の“緩和ケア診療所・いっぽ”でした。ひらがなで“いっぽ”と書きます。がんで亡くなる人が、最後まで自宅で、痛みやつらさを感じることなく、平和に暮らすことができることを目標に対応してくださるところでした。

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