「壮絶なアトピー体験」を"お笑い"に昇華――かき傷で全身血だらけ、食べられる食材はたった3つ。34歳全身タイツ芸人がそれでも持ち続けた"夢"

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「医師に『こんな数値は今まで見たことがない。参考資料に使わせてください』と言われるほど」とちびシャトルさん。医師も驚くほどの数値だったが、結局、アレルギーの原因(アレルゲン)はこの日、特定されることはなかった。

受診したのは、2002年のこと。

当時は、アトピーで荒れた皮膚への薬はあったが、今のようにアレルゲンを特定し“根本から治す”という方法は確立されていなかった。それゆえ、巷ではさまざまな民間療法が話題になっていた。

ご多分に漏れず、ちびシャトルさんもいろいろな民間療法を試していったという。

「母親が“あれがいいよ”と聞けば情報を調べ、またある日、“これがいいよ”と聞けば調べている。ずっとそんなことをくり返していました。藁にもすがる思いだったんですよね」

「見た目」を何か言う人はいなかった

中学生ともなれば思春期。オシャレに目覚め、容姿を気にする年頃だ。

だが、その頃のちびシャトルさんといえば、アトピーのため全身あちこち皮膚は割れて血がにじみ、かきむしった頭皮がただれて、リンパ液の透明な汁がたれてくる、かきむしった影響から眉毛も薄くなっていた。

「自分でもひどいなぁって思います。でも、周りの友人は本当におおらかで、見た目について何か言う人はいなかったんですよね」

ちびシャトルさん自身も、たとえ肌がボロボロでも、かゆみや痛みが止まらなくても、“もう嫌だ”とは思っていなかったそう。「ただ、もし生まれ変わることができるなら“肌だけは、丸ごと全部取り替えたい”とは願い続けていましたけれどね」。

そんな日々の中で楽しみとなっていたのが、「お笑いを見ること」だった。テレビに出ているお笑い芸人のコントを見てガハガハと笑う。その一瞬はかゆみを忘れることができた。

やがて、自身がお笑いに救ってもらったように、だれかに“笑い”を届けたいと思うようになる。高校卒業後に一度だけ就職するものの、夢をあきらめられず、親を説得し、故郷の長崎を離れ、大阪にあるお笑いの養成所に入った。

生活のためにアルバイトも始めた。アトピーの症状は変わらず、皮膚のかゆみや痛みと格闘しながら、アルバイトを続けた。そんなある日、バイト先の飲食店で店長から呼ばれる。

「行ってみると店長は申し訳なさそうに、『顔の荒れ具合が酷すぎて……。飲食業は衛生面に繊細だから、あまり向いていないかもしれない』と指摘をされたんです」

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