「信長の号令に迷惑千万」大反発も計算のうち。織田信長が家臣に"あえて無理難題"をふっかけた驚きの理由《大河ドラマ「豊臣兄弟!」》
清洲は尾張国の真ん中にあり、富裕な土地でしたので、もし、信長が最初、小牧山への移転を言い出したとしても、家臣の反発は免れなかったでしょう。
そこで信長は、最初、わざと家臣の大反発が生じるであろう山中高所の二の宮への移転を言い出したのでした。そして次に、そこよりもかなり利便性のある小牧山への移転を命令することにより、家臣の移転への不満を和らげ、実際に清洲からの移住を成功させたのです。
小説やドラマなどで描かれてきた信長ならば、そのような事などお構い無しに、号令のもと、移転を強引に実行に移しそうですが、実際は違ったのです。手の込んだ「御巧」みをもって、家臣の気持ちに配慮していたのでした。
小牧山築城の効果はすぐに…
小牧山への移転は、美濃攻略を見据えてというだけでなく、斎藤氏に通じる織田信清(犬山城主。信長の従兄弟)を牽制するためだったと思われます。小牧山のほど近くには、信清方の支城と推測される「於久地」(小口)城がありました。
信長が小牧山に築城を始めると、小口で信長勢を相手するのは困難と感じたのか、そこから撤退して、犬山城に籠っています。小牧山築城の効果が早くもあらわれたと言うべきでしょう。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
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