「間違えないのが正解」という教育が招いた悲劇。日本人が世界で通用しないのは"能力"ではなく"習慣"のせいだ

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ニュー・エリート論
本当の成長は「自分の地図を描くこと」から始まる(写真:MaCC/PIXTA)
日本人は、会議や世界の現場で黙ってしまうのでしょうか。その背景には、幼少期から刷り込まれてきた「正解を出す訓練」があります。本稿では、『ニュー・エリート論』から一部抜粋のうえ、「沈黙の教育」が生んだ構造をひもとき、正解ではなく問いを手に未来を切り拓く新しい人材像を提示します。

沈黙の教育――正解を出す訓練が奪ったもの

日本の教育には、一つの無言のルールがある。「間違えないことが正しい」という空気だ。幼いころからテストの点数で評価され、授業では先生の言葉を正確にノートに写すことが求められる。ディスカッションよりも、静かに聞く姿勢が「良い子」の証とされた。

この国では、間違えずに答えを出すことがなによりも大切にされてきた。だが、その習慣の積み重ねが、「考えること」よりも「正解を当てること」を重んじる文化をつくってしまった。

本来、学びとは探求であり、問いを持つことで深まるものだ。けれど、日本ではその問いを口にする前に、「間違えたら恥ずかしい」というブレーキが心のなかで働く。

その結果、社会に出ても多くの人が、上司や会社の方針に従うことを「安全」と感じるようになった。自分で考え、自分で動くことよりも、「指示を待つこと」が正解だと信じてしまう。

私はこれまで、何千人もの日本のホワイトカラーと接してきた。海外での会議でなにも言えず、「話すこと自体が怖い」と口にする人を何度も見てきた。その姿を見ていると、能力の問題ではなく、発言する習慣を奪われてきたことの重みを感じる。

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