「間違えないのが正解」という教育が招いた悲劇。日本人が世界で通用しないのは"能力"ではなく"習慣"のせいだ
沈黙の教育――正解を出す訓練が奪ったもの
日本の教育には、一つの無言のルールがある。「間違えないことが正しい」という空気だ。幼いころからテストの点数で評価され、授業では先生の言葉を正確にノートに写すことが求められる。ディスカッションよりも、静かに聞く姿勢が「良い子」の証とされた。
この国では、間違えずに答えを出すことがなによりも大切にされてきた。だが、その習慣の積み重ねが、「考えること」よりも「正解を当てること」を重んじる文化をつくってしまった。
本来、学びとは探求であり、問いを持つことで深まるものだ。けれど、日本ではその問いを口にする前に、「間違えたら恥ずかしい」というブレーキが心のなかで働く。
その結果、社会に出ても多くの人が、上司や会社の方針に従うことを「安全」と感じるようになった。自分で考え、自分で動くことよりも、「指示を待つこと」が正解だと信じてしまう。
私はこれまで、何千人もの日本のホワイトカラーと接してきた。海外での会議でなにも言えず、「話すこと自体が怖い」と口にする人を何度も見てきた。その姿を見ていると、能力の問題ではなく、発言する習慣を奪われてきたことの重みを感じる。


















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