「間違えないのが正解」という教育が招いた悲劇。日本人が世界で通用しないのは"能力"ではなく"習慣"のせいだ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

沈黙は、怠惰ではなく恐れから生まれている。間違えることへの恐れ、周囲から浮くことへの恐れ、そして、評価を失うことへの恐れ。だが、その恐れこそが、日本人を世界から切り離しているのだ。

問いを持つ力――ニュー・エリートの出発点

私はこれまで、変化を起こす人たちに共通するものを探してきた。業種も年齢も違うが、彼らに共通しているのはただ一つ。問いを持っていることだ。

「なぜ自分はこの仕事をしているのか」「なんのために学ぶのか」。当たり前のことを疑う勇気がすべての始まりになる。その問いは、誰かに与えられたものではない。自分のなかに芽生えた小さな違和感を、逃げずに見つめるところから生まれる。

一方で、変化を起こせない人ほど問いを持たない。日々の忙しさのなかで、「なぜ」よりも「どうすれば」に追われる。会社の方針や上司の期待に応えることで、思考の軌道が自分の内側ではなく外側に固定されてしまう。

だが、本当の成長は「自分の地図を描くこと」から始まる。自分の地図を描くには、世界を知ること、そして自分を知ることだ。どちらか一方だけでは航路は描けない。問いを持つことは勇気ある行為だ。「なぜ」と問うことは、これまでの自分や組織の価値観を一度疑うことでもある。だが、その痛みを避けていては人も組織も進化しない。

ニュー・エリートとは、そこから逃げない人々だ。変化を避けず、むしろそのなかで自分を鍛えようとする人たち。完璧ではなく、未完成のまま世界に向き合い、問いを手に歩き出す人たち。その一歩は小さいかもしれない。しかし、その足跡が未来の方向を示していく。

次ページニュー・エリートの定義――依存から自立へ
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事