【浅草ロック座】豪快な祖母と演出狂だった父 踊り子に育てられた3代目が、破産を乗り越えて変えた"劇場の景色"
平日の昼間から多くのインバウンド観光客が訪れ、賑わいを見せる浅草。着物で着飾った外国人たちが人力車に乗り観光を楽しむ風景は、今や見慣れたものだ。
雷門から仲見世通りを抜け、かつての興行街「浅草六区」へ足を向けると、インバウンドの余熱はここでも感じられた。1947年の創業以来、日本のストリップ文化を牽引してきた「浅草ロック座」だ。
「僕が子供の頃、この街は競馬とパチンコ客で溢れ返る、土日だけの街でした。それが今や世界中から観光客が押し寄せている。この光景をずっと期待しながら耐えてきたんです」
そう語るのは、同劇場の代表取締役、齋藤貴美夫氏(55歳)である。齋藤氏が見てきた半世紀は、浅草という街の盛衰、そしてロック座という「家業」の激動そのものだった。
「風俗」という壁に阻まれたコロナ禍の戦い
1月某日。ロック座を訪れると、開場前だというのに行列が外にまで延びていた。常連客にまじり、台湾語や中国語を話す女性客の2人連れの姿に目を引かれる。
「外国人が増えたのはコロナ禍前からですが、その前に起きた現象として“女性客の増加”があります。カップルでの観劇はもちろん、女性だけで足を運んでくださる方たちが、この10年間でずいぶん増えました。はじめのうちは踊り子さんも戸惑っていたけど、お客さんの視線が好奇の目ではなく踊りやショーへの憧れを帯びていることがすぐに伝わり、馴染んでいきました」


















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