これは当時のアメリカを覆っていた「大量消費社会」の単なる描写ではなく、それに対する批評的な眼差しであるといえます。
たとえばウォーホルには、かの有名なマリリン・モンローの肖像を使ったシリーズがあります。これは彼女が亡くなった直後にその顔写真をシルクスクリーンで大量に刷ったものです。
それは、彼女の肉体的な死が、メディアによって記号化され大量に消費された社会によって引き起こされたものであることを告げています。このキラキラとした世界の裏側に分かちがたくある死を、冷徹に描き出しているともいえるでしょう。
「パクり」も「法外な値段」も作品の一部
80年代に入ると、このゲームはさらに高度化します。「アプロプリエーション(流用)」という手法の登場です。
シェリー・レヴィーンという作家は、写真家ウォーカー・エバンスが30年代に撮影した有名な写真を、そのまま複写(再撮影)し、『ウォーカー・エバンスにならって』というタイトルで自分の作品として発表しました。
一見するとただの盗作(パクり)です。しかし、現代美術の文脈ではこれが成立します。
彼女は「オリジナリティ」という神話を解体しようとしました。
「写真」という複製技術の芸術において、オリジナルとは何だろう?
そして、かつて白人男性の写真家が被写体として「一方的にまなざした」女性のイメージを、現代の女性作家が「流用すること(アプロプリエーション)」によって、そこに潜む権力関係や視線の暴力を浮き彫りにする。
同じ画像であっても、提示される時代や文脈、そして「誰が提示するか」によって、まったく別の意味が生まれる。これもまた、現代美術が行っているスリリングな実験の1つです。
また、ポップアートが大量消費社会の批判であったことから、「芸術作品とお金の問題」へとゲームの方向を進めていった作家もいます。
ダミアン・ハーストの『神の愛のために』という作品をご存じでしょうか。18世紀の人間の頭蓋骨を型取ったプラチナに8601個のダイヤモンドを埋め込んだ作品です。制作費は約30億円。約120億円でギャラリーから販売に出されました。


















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