便器だって洗剤の箱だって数億円のアートになる!?常識を疑い、新たな問いを立て続ける現代美術という「ゲーム・チェンジャー」

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これは当時の美術界に対する強烈な皮肉であり、挑戦でした。

マルセル・デュシャン 泉
マルセル・デュシャン『泉』 Marcel Duchamp, 1917, Fountain, photograph by Alfred Stieglitz(©Wikimedia Commons)

「芸術家」という特殊な才能を持った人間が手技を凝らした美しいもの、それが芸術なのだ、という一般的な芸術に対する挑戦だったといえます。
デュシャンはこの行為によって、「どこまでを芸術と呼ぶことができるのか」という実験を行いました。美術館という制度、あるいは「展覧会」という枠組みの中に置かれれば、便器すらも高尚な作品として鑑賞の対象になる。

芸術の価値はモノそのものにあるのではなく、それを取り巻く制度や文脈が決めているのだと暴いてみせたのです。

大量消費社会をアートにしたウォーホル

ここから、「知的なゲーム」ともいえる現代美術の1つの流れが始まります。先人がつくったルールをどう疑い、どうひっくり返すか。その文脈の読み替えこそが、作品の価値となっていったのです。

たとえばその後、デュシャンがしかけたゲームを、60年代のアメリカで鮮やかに発展させた重要人物にアンディ・ウォーホルという人がいます。

彼の代表作『ブリロ・ボックス』は、スーパーマーケットで売られている洗剤「ブリロ」のパッケージデザインを、木箱にシルクスクリーンで正確に模写し、立体作品として積み上げたもの。

デュシャンが既製品(レディメイド)をそのまま展示したのに対し、ウォーホルは「大量生産品のデザイン」を複製し、それをまた大量に並べました。

私たちはスーパーに行けば同じパッケージの商品が無限に並んでいる光景を目にします。ウォーホルは、その「消費されるイメージ」こそが現代のリアリティであり、アートもまたその消費のサイクルから逃れられないことを示しました。

彼自身、アトリエを「ファクトリー(工場)」と呼び、助手を雇って作品を大量生産しています。

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