長野オリンピックの開会式は98年2月7日。選手村は一足早く1月24日に開村した。
外周は高さ2.5mのフェンスが囲い、警報装置や監視カメラなども用いて24時間態勢で警備された。村内は、選手が宿泊する「居住ゾーン(レジデンシャルゾーン)」と、サービス施設の「インターナショナルゾーン」に分かれていた。
居住ゾーンには、宿泊施設やレストラン、倉庫、リネン庫、総合診療所、フィットネスセンター、セキュリティチェックロビー、宗教センターなどが配置された。レストランはカフェテリア方式で終日運営され、豊富なメニューと料理の質で高い評価を受けていたようだ。
一方インターナショナルゾーンは、約1万2000㎡の敷地に仮設施設で展開された。銀行や郵便局、売店、写真店、旅行案内所に理・美容室、宅配カウンターなどが並んだ。
ビデオルームや図書談話室、映画館やディスコなどもあり、特にゲームやインターネットのコーナーは人気が高かった。
「30年前の選手村」であったこと
そんな選手村には、長野市の職員が多数配置されていた。
建築課課長補佐の水嵜祐一さんは、大会時はインターナショナルゾーンの管理室にいた。施設・設備に関する問い合わせに対応する係だった。
「リモコンの使い方がわからない、お湯が出ないといった連絡が昼夜問わず入ってきていました。電話を受けて国を確認し、待機している通訳さんを探します。一緒に宿泊室に向かい、使い方の説明や対応をしていました」(水嵜さん)
選手村ではさまざまなことが起こっていた。
非常ボタンを押し間違えて火災報知器が誤作動したり、ヒーターのコンセントを間違えて過電流でブレーカーが切断したり。問い合わせやクレームの連絡は、生活様式の違いに関する内容が多かったという。



















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