「大病で死を意識」佐藤優氏が説く"残りの時間の使い方"――忙殺された時間から「自分のための時間」を取り戻すための知恵
ただし、空間というものが視覚によって認識できるのに対して、時間というのは認識しづらいものです。
いや、時計を見れば時間がわかるじゃないかと思うかもしれませんが、たしかに現在が何時何分であるかはわかります。
しかし、それは時間を時計の文字盤上の針の位置という、空間に置き換えて認識しているにすぎません。あるいはデジタル時計なら数字情報に変換して認識しているだけで、時間そのものを認識しているわけではありません。
時間というものは、よくよく考えると不思議なものです。今という瞬間があり、その直前には過去がある。そしてその直後に未来があるのですが、その未来は刻々と現在に置き換わっていきます。
時間の実体というものを、私たちは物理的な実体として直接認識することはできません。しかし、それが流れとして存在するであろうことは直感しています。
このことを端的に言及したのが、ローマ帝国時代に活躍した哲学者アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)でしょう。
「時間とは何であるか? 誰も私に問わなければ、私は知っている。しかし、それを問う者に説明しようとすると、私はできない」
経験上知っているけれども、言葉にして説明しようとすると困難なもの──。それが時間なのです。それゆえに、この難題である時間に関して、古今東西の多くの哲学者たちがさまざまに向き合い、それぞれに解釈を試みてきました。
時間には「2つの時間」がある
ちなみにアウグスティヌスは、「2つの時間がある」としました。「時間そのもの」と、「私たちが体験する時間」です。
私たちが体験する時間は、瞬間の連続によって成り立っています。そして私たちはその一瞬を認識し記憶することで過去とつながり、未来を予測します。
時間そのものの存在と同時に、私たちが関わることによる主観的な時間の流れがあるということです。



















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