「大病で死を意識」佐藤優氏が説く"残りの時間の使い方"――忙殺された時間から「自分のための時間」を取り戻すための知恵
時代はグッと下りますが、似たような考え方としてフランスの哲学者アンリ・ベルグソン(1859~1941年)の時間論があります。ベルグソンは、私たちが通常時間と呼んでいるものは、空間化され視覚化されたものに過ぎないと説きます。まさに先ほどお話しした通りです。
空間や数値で置き換えた時間は、客観性を持った時間です。時計の針やデジタル表示が10時10分を示しているのは、誰が見ても同じです。
しかし同じ5分、10分、1時間であっても、友達と一緒に遊んだり、何か興味があることや楽しいことに熱中している時間は、あっという間に過ぎる。
それに対してクレーム処理のようなしんどい仕事をしている時間、あるいは苦手な人物などと一緒にいる時間や手持無沙汰で何もすることのない時間は、とても長く感じるのではないでしょうか。
ベルグソンは時間の本質は「持続」であると説きます。それは空間的には表示することができない時間であり、自分の意識の中での連続性のある時間でもあります。
「真実」の時間を見失う現代人
客観的な時間の流れと、主観的な時間の流れというのは明らかに違いがあります。前者をファクト(fact=事実)の時間というのに対して、後者はトゥルース(truth=真実)の時間として区別する考え方があります。
ファクトの時間とはアウグスティヌスの言う「時間そのもの」であり、ベルグソンが言うところの「空間に置き換えられた時間」と同じと考えてよいでしょう。
一方のトゥルースの時間は、「私たちが関わる時間」(アウグスティヌス)であり、「持続」(ベルグソン)ということと同じと考えられると思います。
私たち現代人の時間を振り返って考えてみると、ファクトの時間の要素が大きいことに気がつきます。というか、それを中心にして社会が回っています。
1人ひとりが腕時計やスマホで時間を確認し、その時間に合わせて仕事をしたり待合せたりします。会社の始業や終業の時間も、電車や飛行機など交通機関の時間も、テレビやラジオなどの放送の時間帯も、すべてファクトの時間によって定められています。
ファクトの時間があるからこそ、現代社会は機能しているのです。



















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