「大病で死を意識」佐藤優氏が説く"残りの時間の使い方"――忙殺された時間から「自分のための時間」を取り戻すための知恵

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私自身も、腎臓病や前立腺がんなど立て続けに病気をしました。ただ、私自身はご存じのようにプロテスタントのキリスト教徒です。死はリアルな現実であり、同時に生の大前提でもあります。

私が大学で学んだプロテスタント神学では、人間の命には限りがあるということを徹底して教えられました。

若い頃は死や終わりを意識しないものですが、私は大学生の時から死を学び、時間が有限であることを知らされていました。そして神に選ばれし者だけが、永遠の命を持つということも。

いずれにしても、いまさら私たちはジタバタしても遅いのです。やるべきことは1つで、神の意志に背かず、それに準じた生き方をまっとうすることのみ。ですから、私自身は大病を患った時にも慌てることも、生き方自体に大きな変化が起きることもありませんでした。

このことはキリスト教者に限りません。

宗教的なものを信じている人たちにとっては、生とは有限なものであり、そのうえで、いかに生きるかを考えるのは当たり前のことです。まず死と向き合うという姿勢が、宗教的に生きる人の基本なのです。

それに対して近代以降、人々は近代合理主義的な考え方が当たり前になりました。宗教的な価値観や思考から離れ、それによって死と向き合うことなく、むしろ死をタブーとして判断を停止するのが常態になったわけです。

当然、有限な時間を意識することが少ないので、無目的に時間を使ってしまいます。あるいは死の現実や恐怖から目を背けるため、目先の享楽や安逸にむやみに流されてしまいます。

「時間潰し」という言葉がありますが、とくに目的もなく、目先の安楽のために時間を潰すことになります。その結果、インターネットやSNSにはまり、時間泥棒に時間を持っていかれてしまうということになるのです。

そもそも時間とは何か?

そもそも、時間とは何なのでしょうか?

私たちは時間というものが、確固として存在していると考えて日常を送っています。過去から現在、そして未来へと時間は一方向に流れることを知っています。

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