東大理1に余裕で合格も、心を壊した神童が振り返る18歳の時の【致命的な間違い】 理3再受験した彼が描く再起の先の未来とは

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Sakiさんは、関東にサラリーマンの父親と、専業主婦の母親のもと生まれました。算数は小さい頃からすでに得意で、才能の片鱗を見せていたそうです。

「私が4歳のとき、家でずっと電卓を叩いていたみたいで、2の累乗を計算して呟き始めたそうです。その様子を両親が見て、こいつは数字に興味がありそうだということでKUMONに入れられました。そこから1日30分~1時間、算数と国語の勉強をコツコツしていました」

プリントの進度で順位が出る仕組みになっているKUMONでSakiさんは、入った4歳の頃には同級生8万人中で3万位くらいの順位だったそうですが、小学校3年生の11月に高校数学の最後まで終わらせ、8万人中で全国1位になります。

小3のKUMONのプリント
小3の時のKUMONのプリント。阪大の問題を解いている(写真:Sakiさん提供)

「高校数学までを小3で終わらせるのは父親の方針でした。父は小4から中学受験をさせたがっていたので、KUMONに一区切りをつけるために、受験で不要な範囲の高校数学までを終わらせた感じでした。それで小3の2月からSAPIXに入り、中学受験を始めることになりました」 

18歳の自分が犯した「致命的な間違い」

受験した1都3県の最難関中学にすべて合格したSakiさんは、超進学校で名高い中高一貫校に進学します。

物理の研究者になるか、医学部に行くかで悩んでいたSakiさんは、学校でもトップの成績を残すようになり、東大模試でも何度も理科3類のA判定が出ていたと語ります。

「周囲はみんな鉄緑会に行っていたのですが、私は入っておらず、ブックオフをさまよって見つけた中古の参考書を使って勉強をしていました。それでも学年で1位を取れたので、自分のやり方が間違っていなかったことを証明できたと思い、うれしかったのを覚えています」

誰もが「理3に行くだろう」と思っていました。本人もそのつもりでした。

しかしSakiさんは、18歳の自分が犯した「致命的な間違い」について、静かに語り始めます。

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