「父も母も私には優しかったのですが、本当に、口にできないぐらい酷い夫婦関係。父親はお酒も飲まず、経済的に困らせることもない真面目な人間でしたが、母親に対してのべつまくなしに暴言を吐いていました。常に思い通りにならない苛立ちを抱えているような人で、私は子どものころから一家だんらんというものをいちども味わった経験がありません。
もう両親は亡くなって、枕元に遺影が飾ってあるけれど、両親の写真を並べることすらできないぐらい。私が人付き合いが苦手なのは、あの頃からの影響が少なからずあると思うのです」
憧れから始まった結婚生活が終わるまで
いくつかの職場を渡り歩いて、東京で働いた。そのときに「中卒ではこの先困る」と考え、自ら定時制高校に入学。4歳年下の元夫とは、その高校で出会った。
「私は口下手で人付き合いが苦手。でも元夫は、社交的で運動神経も良い人でした。居場所のなかった私は、そんな彼に憧れたんです」
彼女が憧れた元夫の社交性や口の上手さ。それが家のなかでは言葉の暴力となって、カルメンさんを攻撃することになるとは思いもしなかった。
家事に対する文句が、やがて人格否定にまで発展し、ときには肉体的な暴力を伴うこともあった。娘たちにも暴力の矛先が向き、カルメンさんは“蒸発”というかたちで、夫の元を去ったのだ。
結婚生活が苦しくなるにつれ、カルメンさんは何度も「なぜ私は子どもを産んだのだろう」と自分に問いかけてきたそうだ。暴力や言葉の攻撃で家の空気が荒れていくなかで、娘たちを育てながら、未来を考えるのは困難だった。離婚して家を出てからは生活がいつもぎりぎりで、心に余裕がなかった。


















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