「住みたい街ランキング」常連、渋谷から5分の《三軒茶屋》はなぜ人気が落ちたのか…歩いてわかった"おしゃれな街"から"使われる街"に変わった訳

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転機が訪れたのは2000年代に入ってから。インターネットの普及によって買い物はネットで済ませるようになり、街に出る目的は「外食」へとシフトしていく。

すると食べログやミシュランの登場により、外食ブームが加速し、三軒茶屋の路地裏や三角地帯は「ディープ」なエリアとして注目され始める。『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)に初登場した05年は、まさにこの外食ブームの真っただ中だ。

10年代以降は、サードウェーブコーヒーの登場やカフェ・サブカルブーム、レトロブームが重なり、これまで雑多とされてきた要素が「おしゃれ」な街へと評価されていく。17年にはブルーボトルコーヒーが出店し、24年には茶沢通りが「世界で最もクールなストリート30」に選出。かつてのカオスは、「大人の街」「通な街」という言葉で語られるようになった。

こうして振り返ると、三軒茶屋が「おしゃれ」になったのは、街自体が劇的に変化したからではない。時代の価値観が移り変わるたびに、三茶がすでに持っていた「雑多さ」や「ディープ」な特徴を、世間が「おしゃれ」と呼び替えてきた結果ではないだろうか。

「住みたい街ランキング」低下に見る”役割の変化”

三軒茶屋は、かつて「住みたい街ランキング」の常連だった。現在に至るまでのランキングの変遷を振り返ってみよう。

まず98年、『東京ウォーカー』では「住みたい街」ではなく「遊ぶ・食べる街」として評価され、総合23位にランクイン。その後10年代には、SUUMOの「住んでみて良かった街」(10年)で12位に入るなど、「住みたい街」としての評価も高まっていった。

しかし、18年以降はランキングの順位が徐々に下がり始め、25年版では49位となっている。数字だけを見れば、三軒茶屋の人気が落ちたようにも映るが、必ずしもそうとは言い切れない。

世田谷区の地域別人口・世帯数をみると、三軒茶屋周辺では人口に対して世帯数が多く、単身世帯や少人数世帯が増えている傾向が読み取れる(総務省『住民基本台帳に基づく人口・世帯数、令和3〜7年』より)。

編集者も、「子どもができると、家を買うために三茶を離れる人は少なくない」と話していた。つまり、三軒茶屋はファミリーで長く住み続ける街というよりも、学生や若者、単身世帯が一定期間暮らす街としての性格を強めているとも言える。

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