「住みたい街ランキング」常連、渋谷から5分の《三軒茶屋》はなぜ人気が落ちたのか…歩いてわかった"おしゃれな街"から"使われる街"に変わった訳
駅を出て、まず感じたのは「おしゃれ」というよりも「雑多さ」だ。コメダ珈琲店やミスタードーナツなどのチェーン店が密集し、生活感が強い。使い勝手は良さそうだが、いわゆる“洗練された”街並みという印象は薄い。
駅前50mで感じる「ディープさ」の正体
そもそも、なぜこの街は「三軒茶屋」と呼ばれるようになったのか。そのルーツをたどると、江戸時代中期までさかのぼる。
当時、庶民の間では「大山詣り」が大流行。神奈川県伊勢原市にある大山(阿夫利神社)への参拝は、江戸庶民のレジャーだった。その参詣道である大山道沿いの三差路に、旅人の休憩場所として「信楽」「角屋」「田中屋」という三軒の茶屋が並んでいた。やがてそこが道中の目印となり、そのまま地名として定着したのだという。現在も、大山道が通っていたことを示す石碑が街の一角に残されている。
驚くべきは、その三軒のうちの一軒が今もなお健在であることだ。世田谷通り沿いに店を構える「田中屋陶苑」は、陶器店へと業態を変えながらも、ほぼ当時と同じ場所で営業を続けている。
続いて向かったのは「三角地帯」。三軒茶屋が「ディープ」と語られる際に必ず名前が挙がるエリアだ。
三角地帯は終戦直後、疎開地に自然発生した闇市がルーツ。中でも、「エコー仲見世商店街」は闇市がそのまま残存した希少な商店街だ。
『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC著、2016、実業之日本社)によると、1964年東京オリンピックを控えた駒沢競技場建設と道路拡張があり、建設労働者が流入したことで飲食店が集まることになったという。


















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