「住みたい街ランキング」常連、渋谷から5分の《三軒茶屋》はなぜ人気が落ちたのか…歩いてわかった"おしゃれな街"から"使われる街"に変わった訳
これらを踏まえると、ランキングの低下は三軒茶屋が「住みたい街」から「飲食やカルチャーを楽しむ街」へと、役割がシフトしたからだと捉えるべきだろう。
かつて90年代後半から00年代にかけて「遊ぶ・食べる街」として人気を集めていた三軒茶屋は、「住みやすい街」へと評価を変え、再び「消費される街」、すなわち「使われる街」へと回帰しつつある。ランキングの変動は、街の役割の変遷を映し出しているようにも見えるのだ。
三軒茶屋はまるで「東京の縮図」
三軒茶屋に対して世間が持ち続けてきた「おしゃれな街」というイメージは、街が一貫して洗練されてきた結果ではない。時代ごとに価値観が更新され、そのたびに歴史の一部が再発見・再評価されてきた結果だった。
実際に歩いてみると、そこにはメディアが映し出すファッショナブルな側面だけでなく、学生の姿があり、三角地帯の路地もあれば、高齢者がベンチで過ごす光景があった。異なる世代や暮らしが同居するこの街は、「東京の縮図」のようにも見えた。
近年は、都心部の家賃高騰やライフスタイルの変化などにより、「住みたい街ランキング」では横浜や大宮といった郊外エリアが存在感を増している。
かつては「恵比寿や自由が丘は難しくても、三茶なら手が届く」と語られてきた街は、今や「住むにはハードルが高いが、食べたり飲んだりするために足を運ぶ街」へと、役割を変えつつあるのではないだろうか。
ただ、住むには手が届きにくくなったとしても、三軒茶屋には人が集まり続ける。江戸時代、ここが旅人の休憩場所であったように、今もなお「休息と飲食の場」であり続けているのだ。
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