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ライフ #東京で最初に住んだ街

「まるで夢の国」→「居心地悪くなって離れる」…転勤で念願の上京、24歳女性が吟味して選んだ「三茶でも吉祥寺でもない」街の魅力と、変化の実態

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  • 大関 まなみ フードスタジアム編集長/外食ジャーナリスト
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なぜ合羽橋だったのかというと、当時お菓子作りに熱中していた私は東京に行く度に足を運んでいたからだ。

道具街には多くの製菓道具店が並び、地方では売っていないマニアックな製菓道具もなんでもそろっている。欲しいものはすぐ見つかるし、眺めているだけで創作意欲が刺激された。当時すでにネットショッピングが普及していたが、やはり実際に手に取って見られるのは楽しさが全然違う。合羽橋はまるで夢の国、私にとってのディズニーランドだった。

道具街の一角にある「かっぱ河太郎像」。道具街の誕生90年を記念して建立された街のシンボルだ(筆者撮影)

そんな場所に住んでしまえばどんなに楽しいか。合羽橋は浅草にも近いので観光地色が強いのかと思いきや、調べてみると意外とマンションも多く、スーパーなど生活に便利な施設もそろっていた。通勤にもちょうどいいこともあり「夢の国」での生活がスタートした。

上を見ると道具店の上がマンションになっている建物が少なくないことに気づく(筆者撮影)

自宅を趣味のラボ化

東京に引っ越してまず私が取り組んだのが自宅の“ラボ化”だ。せっかく合羽橋に住むのなら、とことんお菓子作りに集中できる環境を整えよう――自宅キッチンをお菓子作りに最適化していった。

まずは飲食店でしか使わないような業務用の作業台を購入。もちろん近所の道具屋で買ったが、「近所だから」と店のおじさんが自宅まで運ぶのを手伝ってくれた。さらに当時コーヒーにも熱を上げていた私は業務用のエスプレッソマシンとグラインダー(豆を挽く機器)を購入。仕事が終われば毎日お菓子作りとラテアートの練習に時間を費やした。

当時の写真。毎日何かしらのお菓子を作っていた(筆者撮影)
当時の写真。バレンタインには見よう見まねでチョコレートボンボンを大量生産した(筆者撮影)
当時の写真。お菓子だけでなくパン作りにもハマっていた(筆者撮影)
当時の写真。夜な夜な牛乳を買い込んでラテアートの練習をしていた(筆者撮影)

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【観光地イメージが強いが、当時は住みやすかった】

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