スタンフォードが教えている「人助け」のシンプルな習慣——「私にできることある?」「大丈夫?」の一言が世界を変える

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起業家のガイ・カワサキは「つねに高潔であろうとすべき」と言いました。ガイはこう続けます。

「高潔な人は、お返しができるとは限らない人を助ける。高潔な人は、相手がウォール・ストリート・ジャーナル紙の西地区のマネジャーだと知って、いい記事を書いてもらえるかもしれないから助けるわけではない。相手が助けてくれるかもしれないから手を貸そう、と思うわけではない。

高潔な人はそんな風に考えない。高潔な人は、人を助けることが自分の喜びだからそうする。ウエイターが自分にしてくれることは、大してあるわけではない。料理は運んでくれるが、それ以外は別に何かしてくれるわけじゃない。

高潔な人間かどうかがよくわかる格好のテストがある。その人がウエイターやウエイトレス、フライトアテンダントにどんな態度をとっているかを見ればいい。

最終的に、人生が終わるときの評価を決めるのは、市場シェアでもなければ、司法省の反トラスト局に勝ったことでもない。ドイツ車やイタリア車を持っているかどうかでもない。世界を少しでもより良い場所にしたかどうかだ」

ただ「大丈夫?」と聞いてくれるだけで

とはいえ、どうやって人助けをすればいいのかわからないと、途方にくれた経験はわたしにもあります。

大学1年のとき、おなじクラスに体が不自由で松葉杖が必要な学生がいました。ある日、彼が教室に向かう斜面で滑って転んでしまいました。起き上がろうとしているのですが、どう手助けすればいいのかわかりません。

助け起こしもしないで通り過ぎるのは、気持ちのいいものではありません。でも、怖かったのです。わたしが近づいて、彼の障害に人目が集まるようなことになれば、かえって不愉快な思いをさせることになるのではないかと。

クラスメートの母親が、長い闘病の末に亡くなったときにも、おなじように感じました。何と声をかけていいかわからず、気に障ることを言ってしまうのが怖くて、結局、何も言わないことにしたのです。

何年か後のことです。わたしはスタンフォードの学内を走っていました。前日の雨でぬかるんでいた地面に足をとられ、派手に転んでしまいました。擦り傷が傷むし、泥だらけで、その場にしゃがみこんでしまいました。

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