カルメンさんの結婚生活は、幸せではなかった。夫は常に細かくカルメンさんの行動を確認しては、駄目出しをする人だった。
「何につけても『ダメだ』とか『それは違う』と言われていました。特に食事はうるさかった。私は料理が得意じゃないから、毎日の食事を出すのが憂鬱でした。酒飲みで、お酒が入るとさらにひどかった」(テネキ~・カルメンさん 以下の発言すべて)
言葉の暴力。肉体的な暴力もあった。それでも家族として生活を続けていたのは、自身の生活力に不安があったからだ。
「私はパートしかしていなかったので、月の収入は7万円程度。娘2人を養うなんて、できないと思っていました。娘たちもそんな私を思って『お母さんだけでも逃げて。私たちはここに残る』と言っていたんです。そんなことがずっと続いていて、私は母親として葛藤する日々でした。
実はひょんなことから、夫に内緒で離婚届を提出していました。夫が何かというと『離婚しろ』と迫る人で、彼が怒りに任せて書いた書類を私がこっそり提出したんです。
そのことを言い出せずに一緒に暮らしていたんですが、最後は娘にも手を上げられそうになったから『もうここにはいられない』と思って。娘たちを連れて家を出ました。書き置きをひとつ置いて、”蒸発”した。離婚届けを出してから1年後のことです」
それは家出ではなく、痕跡を消した逃走だった。夫に知られないようあらかじめ契約していたアパートに、母子3人で逃げ込んだ。
「すごく狭くてボロボロのアパートで、3人が入れるか心配なくらい。ずっと、台所の横で眠っていました。けれど、そんなアパートでも、逃げ出した日の夜は今までにないほど、ぐっすりと眠れたんです」
飛び出してみたら「なんとか生活できた」
もともと月7万円の扶養の範囲内で働いていたカルメンさんは、家出をしたときはクリーニング店で働いていた。扶養から外れてフルタイムで働いても、月給は13万円ほど。
「それじゃ足りないので、介護の仕事を始めました。当時はフリーランスで家政婦紹介所というところに登録して働いていたから、仕事を増やせば給料が上がる。たくさん働いて、多いときは月に28万円ぐらい収入がありました」
国税庁の調査によれば2023年の女性の給与所得者の平均値は316万円。月収にすると約26万円。平均より少し多いぐらいだが、夫からの養育費はなく、高校生の娘2人を養うのは大変だ。ひとり親家庭向けの手当や支援制度に助けてもらいながら、なんとか生活を組み立てていた。
「上の娘が私立から公立高校に転校したり、下の娘が奨学金をもらったりしたので、あまり教育にはお金をかけずにすみました。しかも、ずっと応募していた都営住宅に、母子家庭枠で入れることになって、当時の家賃は約3万円。ようやくボロボロのアパートから移ることができたんです」
夫のハラスメントがつらくても、その夫に扶養されるしかないと思っていた。しかし、飛び出してみたら、なんとか生活していくことができたのだ。
「離婚したことで、国の手当や優遇措置などの制度を、しっかり調べるようになりました。公的な支援を受けたおかげで、なんとか暮らしをつないでこられたと思います。ありがたかったですね」



















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