第二に、既存のジャンルを少しずらして新しい市場を作ることである。
本稿では 「名所絵+狂歌」「道中記+図会」「美人画+人情噺」のような企画を考えてみたが、そんなふうに既知の要素を組み合わせて未知の商品を生み出すことが、蔦重は得意だった。
蔦重の創造力は「制約」のなかで生まれた
文化・文政期は比較的、規制が緩やかな時期だ。化政文化が花開いたことを思うと、蔦重が長生きしていれば、さらに生き生きと出版活動ができたのではないか。
そう思うと残念だが、振り返ってみれば蔦重の革新的な仕事の多くが、規制の厳しい寛政期に生まれている。写楽の起用も、歌麿の大首絵も、制約があるなかでの工夫から生まれたものだ。規制が緩い時期にはかえって「何でもあり」になって、蔦重のような尖った企画力が発揮されにくかった可能性もある。
いやいや、しかし、蔦重の企画力と時代を読む嗅覚を考えれば、どんな状況でも何か新しいものを生み出していたのでは……と、妄想は尽きない。
そんなふうに人々の想像力をかきたてては、さまざまな期待を周囲に抱かせることもまた、稀代の出版人・蔦屋重三郎の魅力なのだろう。
【参考文献】
大田南畝著『會計私記』(濱田義一郎写、1942、九州大学附属図書館所蔵)
鈴木俊幸著『蔦屋重三郎』(平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫著『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
山村竜也監修・文「蔦重の復活と晩年 その後の耕書堂」(『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)
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