ふるさと納税「控除額に上限設定」で"お金持ち"に同情が集まるワケ 現行制度で"富裕層"は本当に得をしているのか?

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唯一無二の美術品や希少な宝飾品、プレジャーボートなど、いかにも「らしい」ものが目立つが、目を引いたのはこちらだ。夢を与えてくれたサラブレッドが引退後も幸せな余生を送れるために寄付金が使われる「引退競走馬支援プロジェクト」。その寄付額は、なんと桁違いの1.5億円となる。

とはいえ、寄付の見返りに豪華な特典があるわけではない。会報誌やクリアファイル、ポストカードなど、金額にすればささやかなものだ。寄付の目的は、あくまで「支援」そのものなのだ。

別のふるさと納税ポータルサイト「さとふる」でも、同じ傾向が見て取れる。近年は返礼品を伴わない「寄付のみ」の応募が増加傾向で、しかも寄付額100万円の「犬猫等愛護活動 犬と猫と人に住みよい共生社会づくりを応援」には複数の申し込みがあったという。

そもそも1億も2億も寄付できるような富裕層なら、たいていのものは自分で買えるだろう。彼らが手にしたいと望むのは、もはや形のあるものではない。心を寄せる地域や文化に貢献したい、よりよい社会にしていきたいという思いを叶えることだ。

あの大谷選手だって、「大谷翔平ファミリー財団」を設立した。財団の目的として、子どもたちが活動的で充実した生活を送るための取り組み、助けを必要とする動物を救助・保護・ケアするプログラムを支援することを表明している。

手にした富を自分のためだけでなく、社会のために使う。寄付という行為は、いにしえよりお金持ちが負う義務なのだ。

富裕層と寄付は歴史的にも密接な関係

「ノブレス・オブリージュ」という言葉を耳にしたことはあるだろう。その意味は「高貴な者には果たすべき義務が伴う」だ。

王侯貴族の時代、彼らは贅を尽くして遊び惚けていればよかったわけではなく、領民のために道を整備し、橋を架け、また慈善団体のパトロンとなった。民から得た富を使って民のために尽くす。それが敬われる立場にある者の責任だった。

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