画家を目指すも大学で挫折→30年後に「マツコロイド」で脚光 《自分そっくりアンドロイド》でおなじみ、名物ロボット学者が語る"気づき"の大切さ
――俯瞰的に物事を見られていたんですね。勉強は、だんだん好きになっていかれましたか?
石黒:小学校4、5年になると多少勉強するようになって、テストの結果にこだわったりもしていました。内心、「テストなんてどうでもいい」と思ってましたけど、周りがテスト、テストっていうから。じゃあ僕もやるか……と。誰かから「やれ」と言われると絶対やりたくない性格で、素直じゃないんですよね。その反面、こだわりが強いというか、一度やろうとするとそこに集中する性質は昔からあったと思います。
――絵は描き続けていたんでしょうか。
石黒:もちろん。画家を目指していました。それしか取り柄がなかったというか、のめり込めそうなことが、絵が一番近かった。でも画家で食べていくには力不足でした。一番難しかったのは緑の使い方です。下手すぎました。
――緑が下手、とは。
石黒:自然を描きたいのに、緑を汚しちゃうんですよ。緑の微妙な色合いを描き分ける力が弱くて、これはちょっとしんどいなと。そもそも緑は使いこなすのが難しく、多くの画家が苦労している色なんです。
それでも大学2年生までは絵ばかり描いて、個展やグループ展もしていました。でも結局、「これで食っていける」という確信が持てず……。絵をあきらめて、当時流行りだしたコンピューターを学びはじめたんです。これなら食いっぱぐれないのではと。
「命を削って」問いに挑めば、脳の構造が変わる
――コンピューターの世界は合っていましたか。
石黒:学べば学ぶほど、深く理解できる感覚がありました。けれど絵は、色の分解能力なんていうのは、生まれつきの才能です。だから芸術家っていうのは努力でなるものではないと思っています。まあ、勉強もそうかもしれませんけどね。生まれながらに能力の高い人は、勉強しなくてもいい成績が収められる……。残酷ですが、そこは平等ではないと思います。
一方で、努力して芸術家になれる人もいます。そのためには、本当に脳の構造が変わるぐらいの努力をしないといけない。「がんばります」なんていうものじゃなくて、ある意味、命をかけたレベルでないと人は変われません。



















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