【偉人の下積み時代】「刑務所のようだった」ムーミン生みの親・トーベ・ヤンソンの"嫌すぎた"学校生活

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トーベ・ヤンソン
ムーミンを生み出したフィンランド生まれの作家トーベ・ヤンソンにも「下積み時代」がありました。(写真:Getty Images)
2025年は、フィンランド生まれの作家トーベ・ヤンソンが、最初のムーミン小説を世に送り出してから80年を迎える年でもありました。しかし、それほど長く愛されている人気キャラクターの作者にも「下積み時代」がありました。
授業が退屈で、学校嫌いだったトーベ・ヤンソン。それでも芸術大学で学んだのち、好きな絵を仕事にすることになりますが、実のところ「ムーミン」も発表当初は不評で、全く注目されない作品だったそうです。
トーベは下積み時代に、どんなことを心がけたのでしょうか。著述家の真山知幸氏の新著『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』から一部抜粋・再構成し、ムーミン誕生までの道のりを紹介します。

大嫌いだった刑務所のような学校生活

下積み図鑑: すごい人は無名のとき何をしていたのか?
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この記事を読んでいる読者のなかには、学校のクラスにあまりなじめなかったり、通学することがつらかったりという記憶を持つ人も、少なからずいることだろう。なかには、今まさにそういう状況にいる、という学生の読者もいるかもしれない。

日本でも大人気のキャラクター「ムーミン」の生みの親である、トーベ・ヤンソンもまた、そんな生徒の一人だった。

とりわけ苦手だったのが算数の授業で、どうしても内容を理解することができなかった。母親に頼んで手紙を書いてもらい、算数の授業を免除してもらったくらいである。

学校嫌いだった偉人は、それほど珍しくない。

だが、トーベの場合は、大好きな絵を描くことさえも、美術の授業となると、嫌でしかたがなかったという。教師に細かく指示されながら絵を描くのが、どうにも性に合わなかったのだ。

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