カリキュラムの「標準時数」に着目

――「カリキュラム・オーバーロード」の実態を明らかにする研究に取り組まれたきっかけを教えてください。

大森直樹(おおもり・なおき)
東京学芸大学 現職教員支援センター機構教授
専門は教育学・教育史。1993年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京学芸大学教育学部助手を経て現職。2021年に同大学特別支援教育・教育臨床サポートセンターの教育の現代的課題に関わる研修支援事業(2022年より現代的教育課題に関わる研修支援事業)により開設した防災学習室の運営教員を担当。日本教育学会会員。公教育計画学会会員。教育史学会会員。日本教育史学会会員。近著に『学校の時数をどうするか-現場からのカリキュラム・オーバーロード論』(明石書店)がある
(写真:本人提供)

もう10年ほど前のことになりますが、「子どもたちがなかなか学校から学童に来ないし、来てもぐったりしている」という話を学童保育の指導員から聞きました。そのとき、子どもたちが疲れているのは、学校での教育課程(カリキュラム)に問題があるからではないか、と考えて研究を始めました。

――これまでもカリキュラム・オーバーロードについては、いろいろな研究者が研究してきているのではないですか。

はい。古くは数学者で教育学者の遠山啓さんが「肥大なカリキュラム」という言葉を使って、1960年代の過密すぎる教育課程を批判しています。その遠山さんの指摘に賛同する学校関係者は多くて、1970年代に入ると日本教職員組合(日教組)も委員会を立ち上げて研究しています。

――そうした中で、大森さんの研究の特徴はどこにあるのでしょうか。

カリキュラムの「標準時数」に着目したことです。2020年以降にも「カリキュラム・オーバーロード」という言葉を使った研究がありますが、多くが、増えすぎて子どもたちにも教員にも負担が大きくなった教科の内容についてのものです。遠山さんの「肥大なカリキュラム」というときのカリキュラムも、教科内容のことです。標準時数の歴史的な変遷と、その標準時数がもたらした実態についての研究は、私の知る限り、ほとんどありません。それを今回、私たちがやったことになります。

ただ標準時数を比べただけでは「不正確」の理由

――学習指導要領が改訂されるごとに変わる標準時数を比べたものは、よく見かけます。

いわゆる「ゆとり教育」の問題で、しばしば引き合いに出されてきましたね。小学校でいえば、1977年と1989年の学習指導要領で総標準時数が1015時間だったものが、「ゆとり教育」の仕上げといわれた1998年改訂では945時間になりました。

そこで学力低下が問題にされて「ゆとり教育」が批判され、次の2008年改定では980時間になります。さらに2017年改訂では、1015時間に戻ります。「ゆとり教育」を批判していた側からすれば、「元に戻ってよかったね」となったわけです。中学でも同様のことがいえます。

――その変遷だけで、カリキュラム・オーバーロードを論じることはできないのでしょうか。

比較するには、比較するための「手続き」が必要なのです。その手続きを経ない比較は、「不正確な比較」でしかありません。

――比較する前に「補正」が必要ということでしょうか。

例えば、小学校にも中学校にも、「特別活動」というのがあります。小学校では学習指導要領に、児童会活動と学級活動(1968・1977年は学級会活動)、クラブ活動、学校行事の4つです。この特別活動が、時期によって標準時数にカウントされたり、カウントされなかったりしています。

なので、例えば1989年には学級活動とクラブ活動は、授業時数として35時間ずつがカウントされていますが、1998年には学級活動だけがカウントされています。

1989年と1998年を比較するなら、この特別活動がカウントされているかいないかで補正してから比べる必要があります。それをやらないと、1989年に比べて1998年は「35時間少なくなった」と単純な見方になってしまいます。つまり、実態での比較になっていないわけです。

――クラブ活動が廃止になった、ということなのでしょうか。それなら、学校の授業時間は減ることになります。

それが違うのです。クラブ活動が廃止されたわけではなくて、クラブ活動は継続されているけれども、標準授業時数にカウントしなくなっただけです。標準授業時数が全体は減ったことになっているけれども、実は引き続き授業は行われていて、学校での実際の授業時数は減っていません。

つまり、1989年と1998年の総授業時数を比べるなら、1989年から35時間を引くか、1998年に35時間を足すかして、条件を同じにする補正を行ったうえで比較する必要があります。

単純に1989年に1015時間だった標準授業時数が1998年には945時間で70時間減ったと解釈するのは間違いだということになります。学習指導要領に示された標準授業時数だけを単純に比較してみても、厳しい言い方をすれば、何の意味もありません。

1989年改訂と1998年改訂での標準授業時数を正確に比較するなら、1998年改訂の標準授業時数の945時間にクラブ活動の35時間を足して補正してから比較する必要があります。もしくは、1989年改訂の標準授業時数から1998年と同様にクラブ活動の時間を引いて補正したもので比べる必要があります。

――それは、中学校でも同じように考えればいいのでしょうか。

中学校になると、もう少し複雑になります。学級活動、生徒会活動、クラブ活動、学校行事、学級指導の5本が特別活動になっていますが、それを学習指導要領では含めたり、学習指導要領には含めるけれども標準授業時数には含めなかったりと、複雑なことになっています。

それまで学習指導要領で含まれていたクラブ活動のように、1998年からは学習指導要領からも標準授業時数からも除かれてしまったものもあります。そうした複雑なところを補正して比べなくては正確な比較にならないのは、小学校と同じです。

「ゆとり教育」を含めて1日の授業時数は増え続けていた

――複雑な補正のための計算が必要だったことで、正確な比較がされてこなかったというわけですね。

そうです。週6日制から5日制への移行など補正の要素は増えて、さらに計算は複雑になり、私たちもかなりの時間をかけて計算しています。そうした複雑な計算を経て私たちがつくりあげた1つが「平日1日の時数の変遷」です。正確な比較ができるようにしたわけです。

――正確に比較してみて、何がわかったのでしょうか。

わかりやすいのは、1998年改訂での平日1日の時数ですね。1998年改訂は、「ゆとり教育」の学習指導要領だといわれています。

しかし、「ゆとり」になっていません。小学6年生の平日1日の時数は、「ゆとり教育」の学習指導要領の前回改訂となる1989年で5時間ですが、それが5.6時間になっています。「ゆとり教育」といわれながら、逆に1日の時数は増えているわけです。その後の2008年改訂は「ゆとり教育」からの脱却といわれ、5.8時間に増えています。さらに2017年改訂では、6時間になっています。

――「ゆとり教育」でも、1日の授業時数は増え、さらに増え続けています。これでは、子どもたちがぐったりと疲れるわけですね。

そうです。さらに問題は、標準時数あたりの教科書のページが増えていることです。内容的なカリキュラム・オーバーロードも深刻です。学習量が増えて標準授業時数の中で教科書を終えられないという現場の悲鳴が聞こえてきます。

学校では標準授業時数とは別に予備時間を設けていますが、それを使っても足りない。教科書を終えるために、夏休みを短縮するなどの動きも広がっていくのではないでしょうか。

そこに、2007年度から全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)が始まりました。全国で全員参加の学力テストで、地域間競争や学校間競争が過熱化しています。教科書を終わらせるのに授業時間が足りない状況で、学力テスト対策まで教員は強いられているわけです。

ますます教える時間は足りなくなり、教科書を終わらせるために急ぎ足で授業をすすめてしまうことになります。そうすると授業を理解できない子どもが出てきてしまいますが、それは切り捨てざるをえないわけです。

――そういうカリキュラム・オーバーロードの状況を変えて、疲れ切った子どもを出さないためには、どうすればいいのでしょうか。

1日の授業時間は小学校で5時間とし、中学校では5.4時間(週5日のうち6時間授業は2日)にすることを提案します。その時間数にあわせて、学習指導要領が決めている内容基準と教科書によって決められている内容量も見直すことが必要だと考えています。

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)