【偉人の下積み時代】「刑務所のようだった」ムーミン生みの親・トーベ・ヤンソンの"嫌すぎた"学校生活
のちにムーミンで大ヒットを飛ばしたトーベは、インタビューを受けるのがあまり好きではなかった。それは次のような理由からだったという。
「誰かに何か質問をされると、学校時代に教師がくだらない質問を繰り返していた授業を思い出すから」
授業が楽しく感じられないうえに、いじめられた経験もあるせいだろう。トーベはしばしば学校を「刑務所のようだ」とさえ言っている。
トーベにとって学校は、それくらい窮屈な場所だったようだ。「ムーミン谷」に学校が出てこないのも、いい印象がまるで持てなかったからだろう。
しんどいときに希望を見つけた
けれども、憂鬱でつらい時期にこそ、「自分が好きなことは何か」に気づくことができる。
トーベは彫刻家の父と、挿絵画家の母のもとに生まれたこともあって、絵を描くのが何より好きだったが、つまらない美術の授業を通して、こう気づいたようだ。
「私はただ絵を描くのが好きなんじゃなくて、〈自由に〉絵を描くのが好きなんだ」
トーベは学校生活のしんどさを紛らわせるかのように、クリスマスのイベントでは、自分で絵を描いて冊子をつくり、クラスメートに売ったりしていた。自分の描いた絵には価値があると、少なからず自信を持てたことだろう。
また、教師をからかった風刺画を黒板に描いて、憂さばらしをしたこともある。怒った教師から「行動に問題あり」と悪い評価をつけられてしまった。
しかし、怒らせてしまったにせよ人の感情を揺さぶったのは、トーベの絵にそれだけの力があるからこそ。のちにトーベは、独裁者ヒトラーを風刺したイラストを本や雑誌で描いて、読者に大きなインパクトを与える。
そんなふうに、自分の「好き」を磨いたトーベは、16歳で学校を中退。ストックホルムにわたって、叔父の家からスウェーデン芸術大学の芸術工学科に通い始めた。
すると、これまでの「学校嫌い」がウソのように、トーベは勉強に打ち込むようになる。挿絵と広告制作について熱心に学び、装飾画の授業では、一番の成績をとっているくらいだ。
卒業後は、実家に帰って、かつて父も通っていた「アテナウム」と呼ばれる美術学校の絵画コースに所属。学校に通いながらも、挿絵やポスターなど数多くの仕事をこなすようになった。



















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