「東京は無機質で、人情味が薄い」と思っていたら…夢やぶれて"失意の上京"をした23歳彼が「選んだ街」と、そこで過ごしたモラトリアムな日々

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三茶近辺にはあまり大きな公園はないが、少し足を伸ばせば駒沢オリンピック公園や、世田谷公園に足を運べた。少しずつ、生活圏が広がっていった。

当時の筆者。初めての東京生活を三茶で送れたのは、幸運なことだったと思う(筆者撮影/2005~2006年頃に撮影)

今も若者を惹きつける街・三茶

本稿を執筆する際に、担当編集であるO氏に最近の三茶の話を聞いた(O氏は三茶在住なのだ)。その中で印象的だったのが、「三茶は若者の街だと思います。家賃が高いので、ファミリーになるとなかなか住むことができない。他の区に引っ越していく子育て中の夫婦は少なくないです」という発言だった。

三軒茶屋の風景
(筆者撮影)

三茶に住み続けることは、なかなか難しいらしい。私自身もその後、他の街へと居を移したのでよくわかる。

ただ、今も昔も、三茶という街は、若者を惹きつけてやまないようだ。

上京をした人の多くがそうだと思うが、私にもささやかな夢があった。だがそれはお金持ちになるといったようなサクセス・ストーリーではなかった。大学時代に映画業界で働きたい思いがあったが、上京前にそれに近い業界でアルバイトをしていたこともあって、その夢はすでに消えかけていた。超絶ブラックな労働環境であり、「この業界で働いていくのは難しいだろう」とすでに理解していた。

つまり、半分挫折していたのだ。強いて言えば、「あえて宙ぶらりんな状態で生きていくのも悪くはない」と思い始めていた。そして、「宙ぶらりんな状態」であろうがなかろうが、そんな個人的な問題を一掃するような娯楽が東京にはあふれていた。いわば「永遠のモラトリアム」が許容される時空なのだ。

今も、三角地帯や、下北沢への茶沢通りを歩くと、多くの若者の姿を目にすることができる。今後も多くの人にとって、三茶は特別な街で在り続けることだろう。

三軒茶屋の風景
今も、多くの若者を惹きつける街・三軒茶屋(筆者撮影)
真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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