「東京は無機質で、人情味が薄い」と思っていたら…夢やぶれて"失意の上京"をした23歳彼が「選んだ街」と、そこで過ごしたモラトリアムな日々

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そこで改めて感じたのは、自分にとって一つひとつのお店が小さなホームのような場所になっていたことだ。まだ仕事の人間関係などもスタートしたばかりで、生活の変化にも慣れない日々が続いていた。そんな中で、心理的にくつろげる雰囲気がある場所が身近にあることは単純にありがたかった。

三軒茶屋の風景
(筆者撮影)

デフレの時代ということもあって、今よりも食べ物が安く、外食のハードルも高くなかったことも大きかった。

私とパートナーは、とある古民家カフェに足繁く通っていた。その店は三茶というより、下北沢エリアにある店だった。三茶から下北沢は徒歩で15分程度であり、時間を持て余した若者にとって、バスやタクシーより徒歩を選ぶことは自然だった。茶沢通りは夜でもネオンの明かりを灯しており、都会で暮らす高揚感を教えてくれた。

当時、私たちは互いにそれなりに激務であり、店で落ち合うのは22時か23時頃だった。フレンチプレスで出されるコーヒーとアップルパイがお気に入りだったからだが、物価的にさほど負担ではなかったからだと思う。

当時の収入を考えれば、現在のような物価高では記念日くらいに行くのが精一杯だっただろう。いずれにしても、東京で最初に住んだ街が三茶だったことは、生活をするうえで相当便利だったし、運が良かったといえる。

初めてのお隣さんと、公園のドッグランへ

初めてのお隣さんは、二軒目の物件でできた。同じ三茶内で引っ越しをしたのは彼女が実家から自分の犬を引き取ることになり、ペット可物件に移る必要があったからである。

たまたまお隣さんも同じ犬種を飼っていたこともあって、散歩などの機会にいろいろと話をするようになった。駒沢オリンピック公園のドッグランに通うようになるなど、ペットと暮らすようになって生活圏も広がった。

(筆者撮影/2005~2006年頃に撮影)
(筆者撮影/2005~2006年頃に撮影)
(筆者撮影/2005~2006年頃に撮影)
(筆者撮影/2005~2006年頃に撮影)
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