「東京は無機質で、人情味が薄い」と思っていたら…夢やぶれて"失意の上京"をした23歳彼が「選んだ街」と、そこで過ごしたモラトリアムな日々

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とんがらしの店主は、元気のよいおばちゃんで、客が私たち二人しかいないときはよく長話をした。仕事のことや最近のニュースのことなど、とりとめもなくしゃべり続けた。今思えば、どこか「家庭っぽさ」があるのが魅力だったのだろう。ここの豚バラ軟骨カレーは絶品だった。

とんがらしは面白いエピソードがいくつもあるが、最も記憶に残っているのは、通いだして1年経つか経たないかぐらいの頃に、突然セットで付いてくるレタスと玉ねぎのサラダに生ハムが追加されたことだった。私たちはてっきりサラダの内容が変わったのだと思っていたが、他の客のサラダをチラ見すると生ハムは載っていなかった。

少ししてから、おばちゃんは「常連さんにだけ生ハムを載せているのよ」と教えてくれたが、それまでどこかよそよそしかった東京の風景が変わった出来事だった。常連さんへのサービスとはいえ、狭い店内なので、初めて来る客でもさすがに隣のサラダと様子が違うことに気付く可能性はある。特に客が多いときはなおさらだ。そんなとき、「どうするのだろう?」と内心やきもきしていたら、おばちゃんは細心の注意を払って、レタスの下に生ハムを忍ばせるのであった。これは笑いを堪えるのに必死だった。

洗練されていて、無機質で、人情味が薄い……東京に対するそんな先入観は、私の中から薄れていった。次第に、私は三茶という街に、根を張っていった。

大阪から引っ越したのに、食い倒れていた

「とんがらし」の話をしたが、よく考えると三茶の思い出のお店は、ほとんどがカレーに結び付いている。茶沢通りの「イーストダイナー」のタコライス風ウフカレー、丸山公園近くの「アジアンソウル」のドライカレー、「小麦と酵母 濱田家」のカレーパン……。

1年も経たないうちに体重がみるみる増え、60キロ台前半だったのが70キロに迫るほどになった。おそらく今までで一番太った時期だったと思う。人生であれほど食い倒れ状態になったのはないのではないかというぐらい毎晩のように飲み食いしていた。

私は東京の食文化に完全にノックアウトされていたのだ。しかし、現在これらのお店はほとんど存在しない。もちろん、20年もの歳月が経過したので、生き残っているお店のほうが珍しいのかもしれない。

人気のパン屋「濱田家」
人気のパン屋「濱田家」。2000年に三軒茶屋にオープンした。現在は二子玉川や新宿にも店舗がある(筆者撮影)
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