「東京は無機質で、人情味が薄い」と思っていたら…夢やぶれて"失意の上京"をした23歳彼が「選んだ街」と、そこで過ごしたモラトリアムな日々
新たに購入した冷蔵庫や洗濯機といった家電以外では、二人に大した荷物はなく、引っ越しも一瞬で終わった記憶がある。だが、私にとっては初めての大都会ということもあって、しばらく落ち着かなかったことをよく覚えている。
まず三軒茶屋の最初の印象は、街のど真ん中を貫く国道246号(ニーヨンロク)の圧倒的な存在感だった。首都高がその上を高架で走っているので、首都の大動脈が常に中心にあることを意識させられた。不動産屋をはしごしている間中、すさまじい交通量を目の当たりにして、「こんな場所で暮らしていけるのだろうか……」と一抹の不安がよぎったものだった。
また、24時間営業のスーパーがあり、夜通し煌々と光りが灯っている街に住むことはちょっとしたカルチャーショックだった。私の地元は奈良県の片田舎で、日が暮れると真っ暗闇の世界だった。住んで2、3日も経たない頃だったか、夜中にふと目が覚め、ゲコゲコゲコゲコという畑のカエルの大合唱で覆われた地元と対照的に、首都高と246号を走る車の音が潮騒のように響いていたのを不思議に感じた。
先に述べたように、東京で生活をしたことがなかったので、そのイメージは大都会という漠然としたものだった。洗練されていて、無機質で、人情味が薄いといったような。
東京の文化、食事の豊かさに私はノックアウトされた
けれども、いざ住み始めると、意外にも泥臭い場所が多いことに驚かされた。世田谷通りと玉川通りが交わるところにあって、狭い路地に多数の飲食店が連なる「三角地帯」の愛称で知られるエコー仲見世商店街がその代表格といえた。同じような個人店が随所にあった。特にお気に入りだったのが「カレーブース とんがらし」と「住吉食堂」だった(両店とも現在は閉店)。



















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