北海道でのウイスキー製造からコンビニポテチまで——ホリエモンが食と酒で挑戦し続ける理由。世界で勝つための「高級と大衆」2つのブランド論

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日本酒を広める活動をしている人物として、元サッカー日本代表の中田英寿さんがいる。彼も全国の酒蔵を訪ね歩き、海外に向けて日本酒の魅力を伝える活動を続けている。

彼がプロデュースするイベント「CRAFT SAKE WEEK」は、毎年東京・六本木ヒルズで開催されていて、僕も参加したことがあるが、全国の蔵元と、酒好きな人々が直接交流できる活気ある場になっていた。

中田さんは約10日間の日程を毎日参加し、積極的に蔵元と交流し取材していた。参加者の男女比もほぼ半々で若い人も多かった。

日本酒→高級ブランド化への取り組みを

日本酒の認知やイメージは、確実にアップデートされつつある。

ここからは、高級ブランド化への取り組みが必要だと思う。

「日本酒は安すぎる」と言うと、たいてい反論が返ってくる。

「そんなことを言ったら、庶民が飲めなくなるじゃないか」

「高くてありがたがるのは、一部のグルメだけだろう」

「日本酒は昔から、日常の酒だったんだから、それでいいんだ」

もちろん、それもわかる。でも、僕が言いたいのは〈すべての日本酒を高くしろ〉という話ではない。ワインの世界を思い出してほしい。

1本1万円のブルゴーニュがあるし、数百円で売られているチリワインもある。どちらも市場に共存している。それが健全な構造だ。

日本酒にも、それがあっていい。大事なのは「レイヤー分け」だ。

・日常酒としての「飲みやすく、買いやすい酒」
・ギフト用の「物語と設計された体験がある酒」
・海外に向けた「ラグジュアリー酒」

この3つは全部必要だろう。

いまの日本酒業界の構造は、「全部安くて当たり前」という意識に支配されてきた。その結果、若い職人は育たず、地方の蔵元は消え続けている。高級路線だけにすれば文化は痩せる。かといって、安さばかりを追えば持続可能性がない。

日本中の酒蔵を回っていると、どこでも、米づくりや酒造りに携わる人たちが、限られた環境の中で最大限の工夫を凝らし、酒造りに深い愛着を持って仕事に取り組んでいることを実感する。

だからこそ、彼らが我慢することなく、誇りを持って働ける環境が整えばいいと強く思う。

そのために、僕ができることがあるなら、迷わずやりたいと思っている。

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