チョーヤ「創業家が自ら営業」した海外事業の今 黒字化まで30年…創業家の情熱と、時代適応

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1945年頃のチョーヤ梅酒の醸造場
1945年頃のチョーヤの醸造場。中小企業ならではの機動力を活かして、創業家自らどぶ板営業を敢行。国内外に販路を地道に広げてきた(写真:チョーヤ梅酒提供)

若者の“酒離れ”が進み酒販業界がシュリンクするなかでも、一定の出荷量を守り、梅酒の店頭シェア率でトップを独走するチョーヤ梅酒(以下、チョーヤ)。海外でも90カ国以上で愛され、さらに拡大を続けている。

この躍進の陰には、創業家が自ら取り組んできた地道な営業活動があることをご存じだろうか? 前編中編に続き、最後となる後編では、はじまりの物語からチョーヤの強さの秘密を探る。

1本でも2本でも、求められたら出向いた

梅酒の国内シェアNo.1、世界90カ国以上に展開するチョーヤ梅酒。現在は卸売会社を通じて小売店に卸しているが、かつては小売店1店1店に足を運び営業を行っていた。

「1本でも2本でも、購入してくださるという小売店があれば出向いていました」と語るのは、同社専務の金銅俊二氏だ。それが積もり積もって、過去には、300~400軒の卸売会社と取引をしていたこともあるそうだ。

【画像10枚】「そもそも梅が知られていない」…。日本よりはるかに厳しい海外市場を、チョーヤでは「創業家」が自ら営業して開拓してきた
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