チョーヤ「創業家が自ら営業」した海外事業の今 黒字化まで30年…創業家の情熱と、時代適応
海外事業も同じで、購入したいという国があれば出向く営業スタイルを貫く。効率とは無縁のため長年赤字続きで、黒字に転換したのはここ10年のことだそうだ。だが、その赤字は社内的に「やむなし」と看過されてきた。いったいなぜなのか。理由は、世界で梅酒を売ることは、創業者・金銅住太郎氏から代々受け継ぐ夢だからだ。
それと同時に、「古来健康のために食されてきた梅の文化を継承し、世界へ発信すること」というチョーヤの企業理念でもある。「ただ売る」のではなく「夢を追う」そして「文化を広める」ことに重きが置かれているのだ。
日本特有の文化を世界へ伝えたい
チョーヤの歴史は1914年、金銅住太郎氏が大阪・駒ヶ谷村(現・羽曳野市)でブドウを栽培、その後ワインの醸造と販売をはじめたのがはじまりだ。
しかしある時、住太郎氏は向学のために訪れたヨーロッパで、海外のワインの質の良さを知る。そして、「いずれ輸入が自由化されたら国内市場が占領される」と危機感をつのらせたそうだ。
その危機感はやがて、「海外生まれではなく、日本特有の文化や伝統を醸成させ、ゆくゆくは世界へ伝えたい」という夢に変わった。そうして出会ったのが梅酒だ。
1959年に製造・販売がはじめた当初は、周囲から、「田舎のワイン屋が何を」「不可能だ」と馬鹿にされたそうだが、金銅一族は文字通り梅酒を背負って海外へ売り歩いてきた。当初は、各国の空港の免税店に並べ、知名度を高める戦術から。「日系人だけでなく、地元の人に飲んでもらうプロモーションをしよう」が合言葉だった。
プロモーション先は、憧れだったヨーロッパやアメリカ。しかし、欧米ではワインやブランデー、スコッチなどを伝統的に飲み続ける気風があり、そもそも梅という果実がない。説明は容易ではなかった。
「輸入先によっては、日本の国税局と保健所、大阪商工会議所に出向き、『日本で伝統的に食べられている果物を使ったお酒です』と書いた書類にサインをもらったこともあります」と金銅氏は苦笑する。そして、そこまでしてもヨーロッパでの売り上げボリュームは大きく伸びなかった。
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