「外食=不健康」「子どもの食事=手作りが正解」はただの思い込み——。堀江貴文「料理は最高のエンタメ」、食への飽くなき探究の背景にあるもの
実は、僕は肉のほうが苦手だった。
野菜に比べて、手に入る肉は質の良いものが少なかったせいもあるかもしれない。親戚が集まったバーベキューでも、僕は炭火で焼いた野菜ばかり食べていた。
すると決まって、大人から「肉もちゃんと食べなきゃ、スタミナつかないよ」と言われる。でも、食べたくないものを「義務感」で口にすることに、ずっと違和感があった。
「体によさそう=無理してでも食べるべきもの」。僕らは知らないうちに繰り返しそう言い聞かされ、それを信じ込んでしまったんじゃないだろうか。
肉の中でもレバーは特に苦手だった。小学生でレバーを好んで食べる子どもなんて、まずいないだろう。
でもうちの母は、わざわざレバー炒めを作って、「食べろ!」と鬼の形相で迫ってきた。それがちょっとトラウマになって、学生になって中華屋に入ってもレバニラ炒めは注文したことがない。
ただ、大人になってちゃんとした中華料理店で久しぶりに食べてみたら、これが驚くほどうまかった。やっぱりレバーは鮮度と下処理が命なんだな、と納得した。
納豆なんかもそうだ。僕は納豆は特に嫌いというわけじゃないけど、自分からすすんで食べることはない。旅館に行くとついてくる小さい納豆は、セルフサービスなら絶対取らない。タンパク質を補給したいなら、他でもいくらでもあるからだ。
でも、納豆好きの人ってなぜか情熱的で、「納豆は身体にいいから絶対食べるべき!」とえらい勢いで迫ってくる人がいる。
結婚していた頃も、当時の妻が「納豆は健康にいいから」と毎朝食卓に出してきて、正直辟易した。いや、他にも自分に合った健康にいい食材なんて山ほどあるでしょ?と思っていた。離婚の5%ぐらいは納豆が原因かもしれない。
この体験を通して思うのは、「まずいけど我慢して食べることが正しい」という思い込みは、いったん手放したほうがいい、ということだ。
「良薬口に苦し」という言葉がある。
もしかしたら今、野菜を毎日食べている人も、本当はそんなに美味しいと思っていなくても、「身体にいいから」と信じて、ある種の〈苦行〉のように食べているのかもしれない。
だから、一見、我慢とは対極にあるように見える僕のことを「どうせ野菜を食べていないんだろう」と思い込むのかもしれない。
「うまいから食べてる」なんていう人間が信じられないんだろう。
たしかに、都会で本当に美味しい野菜に出合おうとすれば、それなりに手間もコストもかかる。
だからこそ「美味しい野菜なんて食べたことない」と思っている人と、子どもの頃から美味しい野菜に囲まれていて、「野菜って美味しいから食べるんだよね」と言っている僕のような人間とは、なかなか話が噛み合わない。
たかが野菜、されど野菜。
でもまあ、結局この溝は、たぶん一生埋まらないのかもしれない。
思い込みを外せば食はもっと自由になる
あまり知られていないかもしれないが、僕はけっこう料理をする。
ただ、それはいわゆる〈自炊〉ではない。今は基本はホテル暮らしなので、キッチン付きの部屋でない限り料理をする環境もないし、そもそも一人分の食事を作ることにそこまで魅力を感じていない。僕の料理は、イベント的にやるものだ。



















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